メッセージ
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開かれた瞑想 2011年10月14日
瞑想は特定の宗教や教義に縛られたものではなく、 等しく全ての人間に開かれたものです。 瞑想は純然たる「人間」から始まるものであり、 人為的に作り上げられたものの中にあるのではありません、 特定の伝統、文化、宗教に属していても、真の瞑想はあ
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自己執着の打破 2011年10月12日
自己執着を打破するとは、過去の自分を打破することです。 そしてまた、欲に溢れた自分自身に終止符を打つことです。 私たちは、自己に縛られて生きています。 そして自己とは、過去の自分の全てです。 過去の思い出、過去の幸せ、過去の経験、過去の満
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命の声を聴く 2011年10月11日
命と宇宙は一つです。 命は宇宙であり、宇宙は命そのものです。 人間や動物だけが生きているのではなく、 星や石、草や花も等しく同じ命の奇跡です。 それと同様に、宇宙のあらゆる音もまた命の奇跡です。 &nb
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知を超えた領域 2011年10月7日
測り知れないもの、未知なるもの― それは人間の知性では知ることのできない神秘です。 人間の頭脳は主に思考の働きであり、 思考というものは既知の領域にあるものです。 頭脳は知識と記憶の貯蔵庫であり、そこから思考
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言葉と沈黙 2011年10月6日
瞑想は沈黙の中で起こる運動です。 沈黙とは、精神の沈黙、精神の静寂です。 精神がざわめいているならば、そこに沈黙はありません。 私たちの精神は、大抵せわしなく動き回っています。 事あるごとにざわめき、右往左往
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宇宙への関心 2011年10月5日
私たちは、宇宙の神秘への関心を持っているでしょうか。 宇宙とは、命であり、森羅万象です。 たいていの人々は、宇宙の神秘に対して無関心です。 毎日仕事に人生を費やすだけで、 大自然の大いなる美しさに注意を払うこ
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終わりなき探究 2011年10月4日
生きるということは、絶えず学び、探究することです。 私たちは「生」というものを学んでいるでしょうか? 探究しているでしょうか? それともただ漠然と日々を過ごしているだけでしょうか。 学びのない生、探究のない生は、あまりにも
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創造性の爆発 2011年10月3日
創造性とは、生の変革であり、新たなるものの不断の開花です。 過去の知識や伝統、習慣などに浸っているなら、そこに創造はありません。 創造とは、生の発見であり、新しい意識が生まれることです。 新たなる発見、新たなる意識が生まれ
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命への執着 2011年9月30日
私たちの多くは、自分の命に執着します。 人間ならば「死にたくない」と思うのは当然のことかもしれません。 しかし、まさにこの命への執着が、多くの悲嘆と恐怖をもたらしています。 恐怖の根は、自分の命が失われてしまうことに対する心の動きにあります。 自
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凡庸さとは何か 2011年9月29日
人間にとっての凡庸さとは何でしょうか。 他者に追従したり、他者の言葉を容易に信じ込み、 それに順応してしまう精神は凡庸です。 特定の宗教を信仰したり、指導者の言いなりになる精神も凡庸です。 世俗的であれ、宗教的であれ、その他なんであれ、 自己達
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大いなる静けさ 2011年9月28日
宇宙の神秘と出会うには、沈黙が必要です。 心が言葉や思考で溢れているならば、そこに沈黙はありません。 沈黙とは、単に騒がしい場所から離れるというだけでなく、 心が静かな平穏な状態にあるということです。 心が何かに囚わ
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無への恐れ 2011年9月27日
私たちは、何もない無を恐れます。 自分の心を満たしてくれる楽しみや、心の支えがなくなることを恐れます。 私たちの心は、絶えず「何もない無」から逃げようとしており、 そのために一時的な快楽や享楽に身をゆだねます。 宗教
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非体験の神秘 2011年9月26日
神秘は測り知れないものであり、決して知ることはできません。 よってそれは、心を満たす対象にはなりえません。 なぜなら、心を満たすものは知識と体験ですが、 未知なる神秘は、体験することも知りうることもできないからです。
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苦悩と成長 2011年9月22日
苦悩と成長は同じ一つのものです。 苦悩によって、私たちは真に大切なことを学んでいきます。 苦悩を味わえば味わうほど、人はより多くのことを学びます。 精神的な苦悩が生じるということは、まだ心に未熟なところがあるという
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無の神秘 2011年9月21日
心の完全な沈黙は、心の完全な自由です。 あなたの心が何かに満たされ、それに執着しているならば、 それを失った時の「喪失感」は耐え難いものになります。 この喪失感は、心に深い悲嘆や絶望を生じさせます。 自暴自棄
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生を発見する 2011年9月20日
もしあなたが、他者の生き方を真似したり、 周囲の人々とまったく同じような人生を歩むならば、 そこには何の創造性も、新しい生の発見もないでしょう。 そこにあるのは順応と模倣、凡庸な生き方だけです。 他者がどういう生き方をしようと、何を言おうと、
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霊的な体験の追求 2011年9月16日
霊的な体験を追求する精神は、未熟な精神です。 その体験は、あなたの心を満たしてくれるかもしれません。 だからこそ、あなたはそのような霊的な体験を追い求めます。 しかし言い換えると、それは快楽と自己満足の追求でしかありません。 &
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開かれた心 2011年9月15日
あるがままの現実を、そのあるがままに見るためには、 私心のない開かれた心が必要です。 開かれた心とは、自分を押し付けたり、自分勝手に判断したりせず、 物事をただそのあるがままに見ることができる心です。 私たち
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ゼロからの創造 2011年9月14日
過去の知識や古い観念、決まりきった習慣や反復があるところには、 新しい生の創造と発見はないでしょう。創造は常に新しいものであり、 新しいものがあるためには古いものは終わらなければなりません。 古いものとは、伝統、習
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自己を捨てた心 2011年9月13日
自己を捨てた心こそ、真に自由な心です。 心の葛藤、その混乱は、心が自己というものに縛られているから起こります。 自己を保持し、心理的に守り続けようとする執着が、心の苦しみの根です。
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「私」からの離脱 2011年9月12日
私たちは誰もが「私」というものに執着します。つまり自分自身にです。 この「私」というもの、つまり自己意識は子供の頃から芽生えます。 そして大人になる過程で、もはや自己というものは私たちに深く根付きます。 しかし私たちは、いずれ「自己を
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学びと探究 2011年9月9日
真に真剣に生きる人は、 精神的な苦悩が起こると、その苦悩の原因を探そうとします。 自分が抱える心の混乱、無秩序、その問題を突きとめようとします。 もしそれを理解しなければ、苦
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自由と束縛 2011年9月8日
自由な生とは、過去にも未来にも囚われない生き方です。 かつて「こうあった自分」、そしてこれから「こうありたい自分」。 その過去と未来は、自分というものへの執着を作り上げます。 人は「かつての自分」に執着し、さらに「
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彼岸の生 2011年9月7日
生きながら彼岸の域にある精神― それは全く異なる生の次元に生きる精神です。 その精神とは、完全に死を受け入れて、死の次元で生きる精神です。 死を受け入れた精神は、もはやこの世の何ものにも執着しません。 この世
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経験への執着 2011年9月6日
私たちは多くのことを経験します。 何かしら満足を得られる経験、心楽しい経験、または霊的な経験など― 人の精神は、こうした様々な経験を繰り返そうとしています。 その経験はあなたにとって快楽や満足を与えてくれるものであ