言葉と沈黙
2011年10月6日
瞑想は沈黙の中で起こる運動です。
沈黙とは、精神の沈黙、精神の静寂です。
精神がざわめいているならば、そこに沈黙はありません。
私たちの精神は、大抵せわしなく動き回っています。
事あるごとにざわめき、右往左往しています。
不安、心配、恐怖、焦り―
精神が休むことなく動き続ける中には、真の平安はありません。
私たちの精神は言葉で一杯で、言葉そのものに縛られています。
自分が言った言葉、他人から言われた言葉に縛られ、
頭の中は言葉と思考で溢れます。
そのような状態では、瞑想の入る余地はありません。
瞑想とは言葉と思考が終わることであり、
その沈黙の中で生起する未知なる運動です。
精神とは言葉と思考のざわめきにほかならず、
精神がざわめいている限り、真の瞑想は起こりません。
言葉に囚われた精神は、
言葉から生じる不安、恐怖、葛藤、悲しみ、怒り―といった、
マイナスな感情の奴隷になってしまいます。
感情というのは心の平静を壊すものであり、
同時にそれは瞑想の美しさが壊れることでもあります。
真の瞑想が起こるには、
まず言葉に溢れた精神そのものを理解し、
ごく自然に沈黙と静寂が起こるようにならなければなりません。
瞑想は精神の沈黙から湧き上がる運動であり、
その測り知れない沈黙の深みの中に、生の創造性があります。
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