メッセージ


  • 無所有の精神性

    無所有の精神性 2011年12月29日

    無所有の精神ほど晴れやかなものはありません。 ここで言う所有とは、人が持つ心の所有のことです。 人は何かしら自分の支えとなる心の所有を持っているものです。 それは何かの経験であったり、快楽や幸福感であったりするかもしれません。 人はそれ

  • 世界が存在するという奇跡

    世界が存在するという奇跡 2011年12月28日

    私たちは、普段何気なくこの世界で生きていますが、 本来「世界が存在する」というのは驚くべき奇跡ではないでしょうか。 しかし、世界が在るということがあまりに当たり前すぎて、 何も感じなくなってしまっている人々がほとんどです。 世界が存在す

  • 神への恐れ

    神への恐れ 2011年12月27日

    私たち人間は、不確かなものを恐れます。 それと同時に、私たちは自分が知っていることに執着します。 知っていることが、自分のすべてだからです。 死というものは、私たちにとって不確かなものです。 それは知りえない次元にあります。 神は、生

  • ただ独りでいること

    ただ独りでいること 2011年12月26日

    本物の宗教的資質は、孤独の中で養われます。 ただ独りでいることの中には、深い精神の沈黙があります。 集団の中にいては深い沈黙は生まれません。 独りでいるということは、それだけ何ものにも乱されず、 生と向かい合うことができるということです。

  • 疑う心

    疑う心 2011年12月22日

    私たちは疑う心を持たなければなりません。 なぜなら、今の世の中は虚偽に溢れているかもしれないからです。 今の世の中のあり方を受け入れるだけでは、 本当に何が真実なのかということを見出すことはできなくなります。 私たちはなぜ疑わないのでし

  • 娯楽に縛られた精神

    娯楽に縛られた精神 2011年12月21日

    今の世の中には娯楽があふれています。 テレビ、ラジオ、映画、音楽、ゲーム、イベントetc 私たちは多くの娯楽に依存しながら生きています。 このひっきりなしの娯楽というものは、 心の虚しさや虚無感から生まれてくるものです。 私たちは「何

  • 文化への依存

    文化への依存 2011年12月19日

    真に自由であるためには、 特定の文化からも自由でなければなりません。 私たちは大抵、ある特定の文化に依存しています。 日本には日本の文化、ヨーロッパにはヨーロッパの文化、 アメリカにはアメリカの文化—といったように、 人はそれぞれ独自

  • 自由な生とは何か

    自由な生とは何か 2011年12月16日

    自由な生とは何でしょうか。 心が何かに囚われているならば、そこに自由はありません。 心が囚われるということは、そこに執着心があるということです。 自分の快楽、満足感、幸福感— これらを満たしてくれるものに私たちは執着します。 全ては「

  • 世界の創造行為

    世界の創造行為 2011年12月15日

    私たちは創造の世界の中で生きています。 世界は絶え間なく創造を続けています。 かつて「世界が創造された」と言われますが、 創造は過去のものではなく、現在も進行しつつあるものです。 今まさに、私たちは創造の真っ只中に生きているのです。

  • 思考を超越する

    思考を超越する 2011年12月14日

    瞑想とは、思考を超えた運動です。 思考とは記憶にほかならず、 それはどこまでいっても過去の知識に基づいています。 知識は古いものであり、かつ有限なものです。 無限なるものが現われるには、有限なものは終わらなければなりません。 知識は終

  • 快楽と精神

    快楽と精神 2011年12月13日

    快楽の追求しかない生は、やはり凡庸でしかないでしょう。 快楽ばかり求めるのは未熟な精神であり、 世俗的であれ宗教的であれ、いずれも同じことです。 神を求めようとする快楽、神を体験しようとする快楽。 それは世俗的な快楽、感覚的な快楽と何ら

  • 未知への扉を開く

    未知への扉を開く 2011年12月12日

    宇宙の聖なる神秘は、未知の次元にあります。 それは人間の知性によって知ることも、触れることもできません。 宇宙の未知なる神秘を「知る」ことはできません。 神秘は知ることができないものですから、 あなたが知っていること、認識できることは決

  • 限りなき瞑想

    限りなき瞑想 2011年12月9日

    瞑想は限りないものです。 それは常に拡大して広がっていくものであり、 終わることなく続く発見と創造の運動です。 瞑想とは、学びであり、探究であり、発見です。 学ぶこと、探究すること、発見することは無限にあります。 もし学ぶことがなくな

  • 孤独と瞑想

    孤独と瞑想 2011年12月8日

    真の瞑想は、常に孤独の中で起こるものです。 集団の中にいては瞑想の美しさは生まれません。 瞑想は孤独の静寂の中で起こる運動であり、 その深い静けさが心の鋭敏さを生みます。 静かな心というのは、それだけ注意力が高まっています。 静かな心

  • 現実を生きる精神

    現実を生きる精神 2011年12月7日

    人として真に生きるとは、 幻想や妄想の中ではなく、しっかりと現実を生きることです。 嘘偽りのない現実を生き、それを感じること。 そこにあるのは、あるがままの"生"にほかなりません。 厳然たる現実を生きるところにのみ実在があります。 現

  • 実在を感じる

    実在を感じる 2011年12月6日

    実在を見出すためには、 偏った思考や、外部の影響から自由でなければなりません。 他者の意見に左右されていたり、 自分自身の偏見に囚われているならば、実在を見出すことはできません。 凝り固まった伝統に属していても同じことです。 実

  • 今日という日を生きる

    今日という日を生きる 2011年12月5日

    人生と不確かなものです。 私たちは多くの将来や未来を渇望し、 理想や野心に駆り立てられながら生きています。 または、何か将来に漠然とした不安を抱えながら生きています。 明日、自分が生きている保証はどこにもありません。 私たちはなぜ明日

  • 思考の限界

    思考の限界 2011年12月2日

    人間の思考は、生の神秘に触れることはできません。 神秘は物質を超えた次元にあるものです。 しかし、思考は物質です。なぜならそれは頭脳の機能だからです。 思考はどこまでいっても頭脳の枠内にあります。 人が何を思考しようとも、それは物質的過

  • リアリティへの覚醒

    リアリティへの覚醒 2011年12月1日

    瞑想は、想像やイメージを超えていく運動です。 私たちの心は、より多くのイメージを作り上げますが、 イメージ、想像というものは「現実」ではありません。 頭の中の想像は非現実的なものでしかなく、 それは心の願望、理想、渇望といった欲に彩られ

  • 体験の捨離

    体験の捨離 2011年11月30日

    私たちは多くのことを体験します。 それは肉体的なものでもあれば、何も霊的なものもあるでしょう。 しかし、たとえそれがどんな体験であろうとも、 体験というものは一時的で消滅的なものにすぎません。 その体験は、単なる快楽や満足となってしまう

  • 人間の精神と自然

    人間の精神と自然 2011年11月29日

    人間の心を健全にしてくれるもの—それは自然です。 自然とは純然たる生命であり、 その生命の姿、動きが、人間の心を豊かにしてくれます。 しかし現代人の多くは、自然に対してあまりにも無関心です。 自然ほど神秘に溢れたものはなく、 そこにこそ聖

  • 気づきと瞑想

    気づきと瞑想 2011年11月28日

    瞑想において重要なことは「気づく」ということです。 気づきがなければ瞑想はありません。 あらゆるものに気づくということ— 外部の出来事だけでなく、 自分の内部の心の動きにも気づいていること。 気づくためには、機敏な精神がなければ

  • あなたと人類

    あなたと人類 2011年11月25日

    私たち一人一人の人間は、世界の歴史を背負っています。 人種、遺伝、文化、伝統—といったものが私たちです。 私たちの精神は、過去の歴史から受け継がれてきています。 あなたの人間のとしての性格、性質は、過去の人類から受け継ついだものです。

  • 宇宙の聖性

    宇宙の聖性 2011年11月24日

    私たちは、常に聖なる宇宙の神秘に囲まれて生きています。 空には天体や星々が浮かび、大地には様々な動植物が存在しています。 太陽の光に輝いて流れる川や、あらゆるものを支えている広大な大地。 これらのものは全て等しく同じ生命であり、 その生

  • 2011年11月22日

    真理を見出す旅 真理の探究、その悟りの道程というものは非常に厳しいものです。 苦しみのない悟りというものはありません。 私たちは苦しみを通して本当の真理を発見していきます。 真理を見出せず、空っぽの空虚さにさいなまれ、 途方に暮れてし

世界を変える