自由と束縛
2011年9月8日
自由な生とは、過去にも未来にも囚われない生き方です。
かつて「こうあった自分」、そしてこれから「こうありたい自分」。
その過去と未来は、自分というものへの執着を作り上げます。
人は「かつての自分」に執着し、さらに「こうありたい自分」にも執着します。
過去の自分と、未来の自分、それがその人の心を支えます。
その過去と未来が、その人自身だからです。
過去の自分も、将来の自分も奪われ、失われたとき、
その人は自分の精神の支えを失い、自分自身をも失います。
そこに生じるのは、絶望、底知れない悲しみ、自暴自棄―などです。
過去の栄光も失い、未来への希望もありません。だから精神は足場を失うのです。
足場を失った精神に待ち受けているのは、苦しみ以外にありません。
それは「自分」というものにしがみついていたから起こったのです。
もしあなたが、「過去の自分」も「未来の自分」も捨てていたらどうでしょうか?
そのとき、あなたは何ものも失わず、決して苦しみに陥ることはないでしょう。
私たち人間の心を縛っているのは「自己自身」にほかなりません。
心の自由を奪っているのは、「自己」への執着にほかならず、
この「自己への執着」が、あらゆる精神的混乱の元です。
自己への執着があるところに、終わりなき心の地獄があり、
自己を捨てて生きるところに、真の心の自由があります。
自由とは、自己なく生きることであり、
束縛とは、自己に囚われて生きることです。
自己を捨てた生だけが、完全に自由な生です。
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