凡庸さとは何か

2011年9月29日

人間にとっての凡庸さとは何でしょうか。
他者に追従したり、他者の言葉を容易に信じ込み、
それに順応してしまう精神は凡庸です。
特定の宗教を信仰したり、指導者の言いなりになる精神も凡庸です。

世俗的であれ、宗教的であれ、その他なんであれ、
自己達成や自己満足を追い求めるなら、それは凡庸でしょう。
なぜなら、それはエゴだからです。

毎日仕事仕事でそれ以外に何もないなら、それは凡庸です。
彼は本来あるはずの生の無限の可能性と創造性を失っているからです。
快楽や享楽だけを繰り返す生き方も凡庸です。それは放蕩的な生き方です。
娯楽ばかりに身をゆだねる人も同じように凡庸です。
彼らは「生」の本質と向き合うことから逃げています。

社会の集団性の中に埋没した精神は凡庸です。
なぜなら、非凡な精神とは、何ものにも頼らない独立した精神だからです。
孤独を恐れ、世間や流行や文化に流され、
集団の中に埋没している精神は凡庸なのです。
彼らは「自分の生き方」を持たず、他人の真似事をするだけです。

ただ独り歩むことができる精神だけが、非凡な創造性を持ちます。
凡庸な人間は、ただ世間に同化し、周囲の人々と同じように生きていくだけです。
習俗、文化、流行に属しきり、そこから抜け出そうとすることもありません。
自分自身の精神が眠りこけていることにも気づかず、
何の真理も、何の生の光も見ることなく生きていく。それが凡庸さです。

凡庸であるとは、悲惨なことであり、恐ろしいことでもあります。
凡庸な人生を生きるか、それともそこから脱して、
真に精神性溢れる人生を、創造性溢れる人生を生きるか。
全てはあなた次第です。


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