無への恐れ

2011年9月27日

私たちは、何もない無を恐れます。

自分の心を満たしてくれる楽しみや、心の支えがなくなることを恐れます。

私たちの心は、絶えず「何もない無」から逃げようとしており、

そのために一時的な快楽や享楽に身をゆだねます。

 

宗教やスピリチュアルと呼ばれる世界でも、これは同じことです。

人は自分を満たしてくれる信仰や、何か魅惑的な霊的な教えを信じ込み、

自分がやがて霊的な自己実現を達成できると思い込みます。

 

神や神秘を追い求めようとする心もまた人間の欲望です。

神の観念で心を満たそうとするのです。

確かにそうすることで、人は一時的に自分の中の「無」を覆い隠すことができます。

しかしどんな観念であれ、永続するものは決してないのです。

 

いかなる体験も、快楽も、満足も、全ては一時的なものです。

人は神の観念を抱いて、そこから満足感を得るかもしれません。

しかしそれらは必ず消え去るものであり、

消え去ったあとに残るものは「無」です。

 

この無に耐えられないから、

人は自分の心を満たすことができる事物に執着しようとします。

心は絶えず何かに執着し、いつも恐れと不安を抱きながら動いています。

それは何もない自分、無でしかない自分を恐れているからです。

恐怖のあるところ、自由はありません。

 

心が何ものにも囚われないことこそ、本当の自由です。

どんな一時的なものに身をゆだねても、結局堂々巡りにしかなりません。

すると人は理解するでしょう、何もない無であること以外に、心の自由はないと。

まさにこの無こそ不動の精神、自由な心であり、そこに深い平安があるのです。


Trackback URL

http://spiritual-public-foundation.org/message/957/trackback


世界を変える