瞑想は、自分の力で制御するものでも、招きよせるものでもありません。 それは自然と意図なく起こるものであって、人間の意志で起こすものではありません。 瞑想は精神的なゲームでもなければ気晴らしでもなく、 また単に知的な遊びで
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瞑想は、自分の力で制御するものでも、招きよせるものでもありません。 それは自然と意図なく起こるものであって、人間の意志で起こすものではありません。 瞑想は精神的なゲームでもなければ気晴らしでもなく、 また単に知的な遊びで
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宇宙は存在しています。 宇宙の存在の根源に立ち戻るとき、そこには名前も言葉もありません。 宇宙は無名の中で存在する「有(う)」であり、この「有」とは命そのものです。 草には本来、名がありません。 鳥にも、石にも、星にも、
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苦しみほど、人間を成長させるものはありません。 そしてまた、苦しみほど人間を生の─生きることの─真実へと運んでくれるものもありません。 人間の苦しむ意味は、苦しみによって人間が「変わる」ことにあります。 苦しみは人間を変
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一人一人の人間に与えられた苦悩の運命というものには、必ず意味があります。 意味があるからこそ、その苦しみ、その不幸は人間に訪れます。 意味のない苦しみ、意味のない不幸の現実というものはありません。 それはその人自身が経験
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神の身体とは、宇宙そのもののことです。 人は神を頭の中で思い描いたり、キリストのような人格を思い浮かべるかもしれません。 しかし、今現在、この宇宙は存在し、維持されています。 この宇宙を、全生命を維持し、支えているのは人
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人間に降りかかってくる不幸な運命というものは、 苦難の荒波の中で私たちを運んでいく船のようなものです。 この航海では、もはや人は舵を取ることはできません。 舵を取っているのは、その「運命」─宇宙そのもの─だからです。 激
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どんなものであれ、「強さ」を追い求めることは野蛮でしょう。 強さを追い求めるところには、必ずエゴがあります。 権力、地位、金、記録を求めることも強さを追求することと同じです。 現代社会の人間の活動の底にあるのは、 どんな
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人間は心を持ちます。 心があるから様々な感情が湧き、同時に苦しみや悲しみを持ちます。 このような「心の動き」というものは、それ自体に意義があります。 意義がなければ「心」というものは存在しないでしょう。 それは意義がある
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自分がこうむった運命を、あるがままの現実を、ただまっすぐ受け入れ、認めること。 それが宇宙のあるがままの現実、嘘偽りのない現実だからこそ、それを心から受け入れること。 あるがままの現実をそのまま認め、受け入れること。 そ
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苦しみの経験がなければ知恵や洞察は生まれません。 言葉や知識ではなく、自分の全身全霊で苦しみを味わうことで人は真に学び、理解します。 ただ辛く、痛く、苦々しい重い苦しみ、 その苦しみが人の導き手となって私たちを運んでいき
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完全な自由とは、自己自身への無執着、自分の生への無執着です。 それは完全な自己放棄の生です。 自分という存在、自分の人生に執着しないこと、「私」に執着しないこと。 「生に執着しない」とは、生きながら自分というものを捨て、
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死という、何もない無、その絶対の真空状態を受け入れられないからこそ、 心は絶えず「何もない無」ことから逃げ回ります。 この無が耐えられないため、人の心は常に何かに執着し、心の所有に依存しようとします。 物質の豊かさ、名声
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目が見えるということは、大きな奇跡ではないでしょうか。 私たちのほとんどは「目が見える」ということに対して、 驚きの念を持ちません。 「目が見える」ということが当たり前になっているので、 この当たり前の奇跡が感じれなくな
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ほとんどの人々は普段、何げなく生きています。 生きていることが当たり前であるかのように日々の生活を営んでいます。 「生きている」ということは当たり前のことでしょうか。 それは驚くべきことでも奇跡でもなんでもなく、 いたっ
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本来、この宇宙には「言葉」というものはありません。 言葉が生まれる前から宇宙は存在し、あらゆるものは沈黙のうちで生きていました。 全ては無名で言葉のない世界だったのです。 宇宙の本然は「沈黙」です。 沈黙こそ宇宙の本来の
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自己、自分、私、我─ このエゴこそ人間にとっての苦しみの牢獄であり、最大の障害です。 むしろ人間にとっての心の障害はエゴしかないと言ってもよく、 そのエゴ─自己執着─に囚われているかぎり、苦しみが終わることはありません。
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「死」とは、人間の意識の終わりです。 私たち人間は一人一人意識を持って生きています。 人生とは意識の内容そのものであり、その意識の内容が私たち一人一人の人間です。 人間の意識の中身には、その人のあらゆる心の所有と欲望があ
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死によって全てが終わると考えている人がいます。 しかし、このような考えは間違っています。 なぜなら、「死」というものは生の終わりではなく、 限りない「生」の運動の一部(その流れ)であるからです。 死もまた生なのです。 全
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人間は自分で新しい「生」を創造することができます。 自分で自分の生を発見し、その独自の生を生きることができます。 これは私たち一人一人に創造性が宿っているからこそ可能なことです。 人間における創造性は無限です。 つまり、
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生の創造性は、常に未知なる次元にあります。 創造性というものは「新たなる発見」であり、 しかもそれは自分自身で見出していくものです。 他人の知識や教えを受け入れることは創造性ではありません。 創造性があるためには、まず自
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「生きる」ということは、本来途方もなく厳粛なことです。 それは恐ろしいほど真剣なことであり、 決して遊びや気晴らしではありません。 人生というものは、単に快楽や享楽に費やすものであると考えている人がいます。 人生は遊びで
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死への恐れを持つことなく生きることはできるでしょうか。 もし私たちが死を恐れることのない人生を歩めるならば、 その人生はまったく異なった意識と次元を伴ったものになるでしょう。 そしてそこには、完全な自由があります。 その
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「人間が生きている」ということは不思議なことではないでしょうか。 私たちはこのことになんの驚きも感じずに生きていますが、 「人間が存在する」「人間として生きている」ということは、 恐ろしいほどの奇跡ではないでしょうか。
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「人間が生きている」ということは不思議なことではないでしょうか。 私たちはこのことになんの驚きも感じずに生きていますが、 「人間が存在する」「人間として生きている」ということは、 恐ろしいほどの奇跡ではないでしょうか。
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私たちは自分という「個」を超えて、 全体としての宇宙そのものと一つになることができます。 というのも、もともと「生」というものは宇宙そのものであり、 そこには本来、どんな分離もないからです。 全ての生命は宇宙の中に存在し
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精神的な苦悩というものは、私たちに多くの学びを与えてくれます。 苦悩を通してこそ人は真に学び、真に成長します。 苦しみから逃げようとばかりする人は、何の成長も得られないでしょう。 いかに苦しみから逃げるか、避けるかではな
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心の虚しさから一時的に逃避しても、やがてはまたその虚しさが必ず顔を出してきます。 どのような逃避も全ては一時的なものにすぎず、問題の根本的な解決にはなりません。 一時的に逃避するということは、単に問題を先延ばしにしている
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私たちにとっての心の執着物、依存の対象は、 私たち自身の「自己」を大いに満足させるものです。 それは自分の生きる意味、意義、価値を与えてくれるもので、 「これが私だ」「自分の人生だ」という活力を与えてくれます。 同時にそ
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人間は死を恐れます。 「死」という現実は、私たちにとってとても大きな出来事です。 それはあまりに大きく、そしてあまりに生々しくリアリティに溢れているので、 普段は逆にその現実感をなかなか感じることができません。 しかし、
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私たちが執着し、依存している快楽や享楽、 満足感を与えてくれる体験や我を忘れさせる活動といったものは、 「自分」を満たしてくれるもの、「自分」を支えてくれるものです。 ほかにも「自分」というものの存在意義や生きる意味を与
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「生」というものは、自分で発見し、創造していくからこそ意味があります。 しかし、多くの人々は他者の教えや本の言葉を容易に信じ込み、それに囚われがちです。 何が真実で何が真実でないか。 それを見出すのは私たち一人一人であっ
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私たちは、自分が何もない無(虚無)に飲み込まれることを恐れています。 なぜなら、その虚無は「自分」というものを無にしてしまうからです。 永遠に続くのではないかと感じられるこの果てしない虚しさ、底なしの虚無は、 自分の人生
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「私がある」「自分が生きている」「自分が存在している」 これこそ人間の人生の根底をなすもので、 この「私」「自分」という意識、感覚に私たちはいつも依存し、執着しています。 「私」「自分」というものを保持し、守り、強化する
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私たちは、自分というものに執着して生きています。 「自分」というものが私たち人間の生の基盤とも言えます。 自分の出世、自分の未来、自分の所有、自分の人間関係、 自分の仕事、自分の財産、自分の名誉、自分の人気、 自分の知識
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「在る」ということは、途方もなく神秘に溢れたことです。 世界は存在し、その中に様々な生命が存在します。 それらは「在る」のです。 野に咲く花は、ただ黙ってそこに存在しています。 大地に立つ樹も、ただじっとそこに存在してい
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野に咲く花は、恐怖や不安を持ちません。 どんな葛藤も、苦悩もなく、ただ咲いています。 そこにあるのは「無私」の姿です。 完全に「我」を持たないエゴなき姿です。 人間は欲を持ち、そしてエゴを持ちます。 その欲、自分への執着
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絶えず学び、絶えず発見している精神は常に活き活きしており、 新鮮さを失わず、退屈や停滞をもつことはありません。 このような学びがあるとき、または新しい学びが始まるとき、 そこにはすでに「生の創造性」が働いています。 学ぶ
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生というものは常に流れ続けています。 生とは、全宇宙の運動であり、留まらずに流れ続ける川と同じです。 川の流れは、留まることを知りません。 過去も未来もなく刻々と流れ続けます。 この一瞬一瞬の生もまた、それと同じです。
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私たちの多くは、自己達成や成功を望みます。 金銭、仕事、恋、人間関係、様々な理想と成就― 人は多くのことを希望し、渇望し、その達成のために動きます。 社会や世間での生活で挫折したりすると、 今度はスピリチュアルや宗教とい
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私たち人間は「恐怖」という感情を持ちます。 恐怖という感情は私たちにとって大きな重荷です。 恐怖がそこにあるとき、心の自由は決してありません。 恐怖が人生を覆ってしまうとき、生きることは苦しみになります。 人生に対する不
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心の問題というものは、人類共通の問題、普遍的で宇宙的な問題です。 どのような場所に住んでいようと、人種や文化の違いがあろうと、 私たちは等しく「人間」であり、同じ心の問題を抱えています。 恐怖、不安、悲しみ、葛藤、絶望、
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「生」とは学びです。 「生」における学びに終わりはありません。 生において学ぶことは無限にあります。 学ぶということは、 何か専門的な知識や言葉を頭に詰め込むということではありません。 真の学びとは「人間」そのものから、
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私たち人間は恐怖を持ちます。 恐怖があるとき、人間の心は決して自由ではありません。 恐怖から自由でないならば、人生そのものが不安と苦痛に満ちているでしょう。 では、私たち人間がもつ「恐怖」というものの根は何なのでしょうか
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自然は私たちにいつも何かを語りかけてきています。 私たちはその自然の声を聴いているでしょうか。 それとも無関心にただやり過ごしているだけでしょうか。 自然の声とは、生命の声、宇宙の声です。 その声は、私たちに大いなる美を
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人間とは、学び続けることのできる存在です。 私たちは「生」から、人間そのものから無限に多くのことを学び、発見することができます。 学び、発見するためには、人は真剣な心を、厳粛な心をもたなければなりません。 生に「学ぶ」と
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花や植物は太陽の光を浴びて生長していきます。 やがて枯れるときは、地に種を残して自らの使命をまっとうします。 その種からまた新しい生命が息吹きます。 野生の鳥たちは、生きるためにエサを探し、 時期が来るとヒナを育て、命を
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人間の持つ恐怖、不安の根源的原因は、 「何もない虚無」に対する恐れ、不安です。 この果てしない虚無に対する反応、衝動が恐怖や不安の根です。 私たちは、自分が何もない無(虚無)に飲み込まれることを恐れます。 なぜなら、その
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人間の持つ恐怖、不安の根源的原因は、 「何もない虚無」に対する恐れ、不安です。 この果てしない虚無に対する反応、衝動が恐怖や不安の根です。 私たちは、自分が何もない無(虚無)に飲み込まれることを恐れます。 なぜなら、その
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人間という存在は、何かしら漠然とした不安をいつも抱えています。 自分で何に対して不安を抱いているのかがわからず、 わからないまま得体の知れない不安感にさいなまれているのです。 原因や理由のわからない不安というものは底のな
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「スピリチュアル」という言葉を使うとき、 それは物質的次元ではないものを意味しています。 私たちの多くは、頭でものを考えます。 しかし、頭脳というものはそれ自体が物質です。 よって頭脳で何を考えようとも、それはスピリチュ
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「スピリチュアル」という言葉を使うとき、 それは物質的次元ではないものを意味しています。 私たちの多くは、頭でものを考えます。 しかし、頭脳というものはそれ自体が物質です。 よって頭脳で何を考えようとも、それはスピリチュ
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空間というものは極めて神秘的なものです。 そして空間の中に何かが存在するということも神秘です。 私たちは、当たり前のように生活していますが、 この空間と存在性の神秘を感じている人ははたしてどれほどいるでしょうか。 「空間
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目覚めて生きるとはどういうことでしょうか。 それはあらゆることに「気づいている」ということです。 気づきがなければ目覚めているとは言えません。 目覚めている精神は、常に気づいています。 周囲の事物に対して、または自分の心
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「世界」は生きています。 世界は決して静止していません。 世界とは常に動きつつあるもの、生きつつあるものです。 世界が生きているということ。 一瞬一瞬、生は動きつつあるということ。 まさに動きつつある「生」こそがリアリテ
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神を見つめるとはどういうことを言うでしょうか。 それは「生」を見つめること、「命」を見つめることです。 では「生」とは何でしょうか。「命」とは何でしょうか。 それは、この世の存在の全てです。 生とは世界の全てであり、世界
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私たちは神を「知る」ことはできません。 そしてまた、神を知ってもいけません。 なぜなら、神は一切の知を超えているからです。 神は決して知りえない存在です。 知りえないからこそ神であり、神秘なのです。 もし神について何かを
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「生」を敏感に、深く感じられる精神こそ類まれなものです。 「生」を感じることは、リアリティそのものを感じることです。 そしてリアリティを感じるには、生に対する感受性が必要です。 私たちのほとんどは、世界や生の神秘に対して
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生において重要なことは、自己を理解するということです。 自己を理解するということは、 自分の心の問題や偏った性格を理解するということです。 もし自分が恐怖に囚われているならば、 その恐怖を理解して終わらせなければなりませ
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苦しむことは、私たちにとって精神的に辛いことです。 しかしまた、苦しむことほど精神的に成長させるものもありません。 苦しみは私たちに理解を与えます。 私たちは苦しい経験を通して精神的に成熟していきます。 人間の精神的な苦
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私たちは何事も知識によって考えようとします。 もちろん生きる上では知識は必要ですが、 神秘と交わるには知識を超えていかなければなりません。 神秘は未知なるものです。 それは頭脳で捉えられるものではありません。 頭脳とは既
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現代社会では、多くの人々が習慣や文化にはまった生き方をしています。 あたかも、そういう生き方しかないかのような型にはまった生活をしており、 そこには模倣や順応はあっても創造性や独自性はありません。 なぜ私たちは「自分の生
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宗教やスピリチュアルな世界においては、 他者の教えや本に頼ってばかりの人が多いです。 そして安易にその教えや言葉を信じ込んでしまうのですが、 しかしそれでは本当の精神的な成長にはならないでしょう。 真の宗教的行為、霊的な
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宇宙はある一つの秩序に従って動いています。 この秩序は原初の宇宙からあるものであり、 この秩序によってあらゆるものが存在し、動いています。 人間もまたこの秩序の一部です。 太陽が昇り、沈むのも秩序です。 四季が繰り返され
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人間の真の美しさとは、エゴのない無私の心です。 そして無私の心とは、完全に透明な心です。 透明な心こそ、人の清らかさ、美しさです。 それはどんな欲も、自己主張もない心、 ただまっすぐに見つめ、聴くことができる心です。 そ
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生きている中で自然への共感を持つことは大切なことです。 なぜなら、自然こそ生命そのものだからです。 自然に無関心であるということは、命に無関心であるということです。 現代は人工的に作られたもので溢れています。 あらゆる娯
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どの時代に生きようとも、 私たちは同じ「人間」であることには変わりありません。 そして人間が持つ「真理」もまた同じものです。 真理に、時の隔たりはありません。 時代、文化、伝統、進歩— 人が作り上げてきたものは本当に様々
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私たちはより多くのことを求め、それを知ろうとします。 スピリチュアルや宗教の世界でもそれは同じことで、 生の真実や宇宙の真理を探求する人は多いでしょう。 なぜ探求するのでしょうか? 一体、私たちは何を探し求めているのでし
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リアリティを感じる心とはどういうものでしょうか。 リアリティとは、決して想像上のものではありません。 よって想像力やイメージの産物はリアリティを否定します。 精神が妄想のとりこになっているならば、そこにリアリティはありま
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普段、私たちが当たり前にもっている意識とはまったく異なった意識というものがあります。 それはこの世で感じられるような当たり前の意識ではなく、 まったく異なった別次元の意識、別次元の感覚と言えるようなものです。 それは突如
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神を見ることができる心とは何でしょうか。 神とは、未知なる存在、無限なる存在です。 それは知ることも、記憶することもできません。 もしそれを知ることができ、記憶されるものならば、それは神ではないでしょう。 神の活動とは、
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「生」とは本来、創造性に溢れたものです。 創造性がないならば、その生は停滞するだけでしょう。 生の創造性を失わせるものは、精神の習慣化です。 精神が同じ快楽や娯楽、慰めや享楽を繰り返し、 それがその人の生活そのものになっ
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「空間」というものは非常に不思議なものです。 私たちは普段から意識していませんが、 「空間」というものは実に神秘的なものです。 あらゆるものが空間の中に存在しています。 空間がなければ何も存在することはできません。 人間
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世界が存在するということは大いなる奇跡です。 私たちはこの奇跡を感じているでしょうか? ほとんどの人は感受性が乏しくなっているため、 この「世界」という奇跡に気づきません。 それは目の前に当たり前に存在するので、 奇跡を
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人間の心は空虚さというものを持ちます。 それは何もない空白感、底なしの闇のようなものであり、 私たちにとっては苦痛でもあれば恐ろしいものでもあるでしょう。 しかし、この空虚さからいつまでも逃げているわけにはいきません。
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宇宙は「現に生きたもの」です。 宇宙は一瞬たりとも静止することはありません。 この一瞬一瞬、宇宙は創造を続けています。 生きた宇宙は、生命の声です。 それは測り知れない命の美しさ、豊さであり、 人はこの「奇跡」に囲まれて
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睡眠は頭脳と心を浄化する働きをもちます。 人は眠っているとき、どんな意識ももちません。 夢を見ない限り、意識は空白のままです。 睡眠は、これまで心が蓄積してきた過去の記憶を浄化し、 心と頭脳をリフレッシュさせます。 人と
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生の神秘は、何気ない日常の中にあります。 この世界に”当たり前なもの”などありません。 私たちは「世界」という神秘の中で生きているのです。 あなたが心を開いて注意を傾ければ、 あらゆるものの中に測
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生の大いなる神秘は、沈黙の中にあります。 宇宙それ自体が沈黙であり、沈黙は生のあらゆるものに宿っています。 測り知れないもの、未知なるものは、沈黙の中にあります。 言葉や知識は測りえるものであり、限定されたものです。 測
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「死」とは、意識の終わりです。 私たちは意識を持って生きています。 人生とは意識の内容そのものであり、 その意識の内容が私たち一人一人の人間です。 その意識の中身には、その人のあらゆる心の所有があります。 世俗的な成功や
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瞑想とは、感受性を開け放つことです。 感受性が失われているなら、瞑想はありません。 瞑想は、見ること、聴くこと、感じること、知覚することであり、 それらはすべて感受性です。 感受性が鋭敏であればあるほど瞑想の質は高まりま
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命というものは、あらゆるものに宿っています。 人や生物だけが生命なのではありません。 世界に存在する全てのものに命は宿ります。 たとえそれが小さな石ころであっても、 その石は宇宙の命の一部分です。 どんなに小さなものでも
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私たちは、存在の奇跡に気づいているでしょうか。 「存在」とは、極めて高貴なものであり、それは命そのものです。 世界が存在すること。 生命が存在すること。 物事が存在すること。 「存在する」ということは、大いなる奇跡です。
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「存在そのもの」を見るには、言葉を捨てて見なければなりません。 例えば、バラの花を見る時、 「バラ」という言葉(名称)を通して見るのと、 まったく言葉を通さずに見るのとでは、その様相はまったく違います。 言葉や名称を通さ
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人生には様々な悲しみがあります 自分が大切だと思っているものを失った時や、 自分自身の将来が失われた時など。 不幸や運命は時に残酷なものであり、 突如として訪れるその苦悩と悲しみは私たちにとって辛いものです。 しかし、人
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自然のままにある命の姿というものは、すべて等しい価値を持ちます。 ある一方だけが価値があり、他方はそうではないということではありません。 生命の存在はすべて等しく高貴であり、尊いものです。 人間の命だけが尊いのではありま
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心が無垢であればあるほど、 人は世界の神秘を感じやすくなります。 無垢の心であるとは、 あらゆるものを新鮮なまなざしで見つめることができる心です。 あたかも、毎日生まれて初めて世界を眺めるかのような心です。 無垢であるた
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宗教やスピリチュアルの世界では、 本というものの重要性が幅広く認知されています。 しかし、本の言葉に囚われすぎるのも問題です。 特に宗教やスピリチュアルというものは、 その人の人生そのものと精神構造に大きく影響を及ぼしま
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人生というものは、私たち一人一人が発見していくものです。 私たち一人一人が生の創造者であり、 その独自性は人の数だけ多くあります。 世間では、様々な自己啓発の本や法則関連の本が販売されています。 人はそれらの本の教えや言
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“世界が存在する”ということは途方もない奇跡です。 世界が存在するということは、当たり前なことではありません。 それは考えられないほど奇跡に溢れたことです。 私たちはなぜ”世界が存在す
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花の生き様— それは何も求めず、何も欲せず、 ただ無心に存在することです。 花は、どんな欲も持ちません。 人間のように野心を抱いたり、達成や所有を追い求めたりしません。 花はただ存在し、ただ生きています。 それが花の姿、
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人は、自分が生きていることの意義を持とうとします。 自分が生きている意義を見つけ、それを支えに生きようとします。 人生に意義を見出せず、心は空虚となり、 大きな絶望感に囚われる人もいます。 彼らは、なぜ自分が存在するのか
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宇宙は神秘に溢れています。 宇宙が存在するということ自体が大いなる神秘です。 そして、その宇宙の中には個々の生命が数多く存在し、 その在りようは無限の様相を持ちます。 もし、人として生きている中で生の神秘を感じないとすれ
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無所有の精神ほど晴れやかなものはありません。 ここで言う所有とは、人が持つ心の所有のことです。 人は何かしら自分の支えとなる心の所有を持っているものです。 それは何かの経験であったり、快楽や幸福感であったりするかもしれま
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私たちは、普段何気なくこの世界で生きていますが、 本来「世界が存在する」というのは驚くべき奇跡ではないでしょうか。 しかし、世界が在るということがあまりに当たり前すぎて、 何も感じなくなってしまっている人々がほとんどです
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私たち人間は、不確かなものを恐れます。 それと同時に、私たちは自分が知っていることに執着します。 知っていることが、自分のすべてだからです。 死というものは、私たちにとって不確かなものです。 それは知りえない次元にありま
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本物の宗教的資質は、孤独の中で養われます。 ただ独りでいることの中には、深い精神の沈黙があります。 集団の中にいては深い沈黙は生まれません。 独りでいるということは、それだけ何ものにも乱されず、 生と向かい合うことができ
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私たちは疑う心を持たなければなりません。 なぜなら、今の世の中は虚偽に溢れているかもしれないからです。 今の世の中のあり方を受け入れるだけでは、 本当に何が真実なのかということを見出すことはできなくなります。 私たちはな
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今の世の中には娯楽があふれています。 テレビ、ラジオ、映画、音楽、ゲーム、イベントetc 私たちは多くの娯楽に依存しながら生きています。 このひっきりなしの娯楽というものは、 心の虚しさや虚無感から生まれてくるものです。
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真に自由であるためには、 特定の文化からも自由でなければなりません。 私たちは大抵、ある特定の文化に依存しています。 日本には日本の文化、ヨーロッパにはヨーロッパの文化、 アメリカにはアメリカの文化—といったように、 人
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自由な生とは何でしょうか。 心が何かに囚われているならば、そこに自由はありません。 心が囚われるということは、そこに執着心があるということです。 自分の快楽、満足感、幸福感— これらを満たしてくれるものに私たちは執着しま
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