メッセージ


  • 無為の瞑想

    無為の瞑想 2011年11月21日

    瞑想は、自分の意志や意図によって取り組むものではありません。 意志や意図があるところには心の欲望があり、 欲望にうながされて行われる瞑想は、真の瞑想ではありません。 瞑想は自分で招き寄せるものではなく、 ごく自然に無為に起こってくるものです

  • 宇宙として生きる

    宇宙として生きる 2011年11月18日

    生は、私たちが自分勝手に制御できるものではありません。 宇宙は私たち人間の思惑や意志とは関わらずに動いています。 人は自然というものを操ることはできません。 自然はそのあるがままに動き続けています。 雨が降るのも、風が吹くのも、それは自然の

  • 無限の空白

    無限の空白 2011年11月17日

    人生とは、生の探究であり、発見です。 「生」というものを探究し、発見するためには、 心は常に空っぽで新鮮でなければなりません。 生の無限の可能性が生まれるのは、 人間の心そのものが空っぽであるときです。 心が空っぽであるとは、いかなる

  • 未知から未知への旅

    未知から未知への旅 2011年11月16日

    瞑想とは、未知から未知への旅です。 瞑想は、新たなるものを発見する旅であり、 それは常に未知の領域にあるものです。 未知であるからこそ、新たなるものがあります。 既知なるものの領域には、瞑想はありません。 既知とは、知識、記憶であり過

  • 生の実在

    生の実在 2011年11月15日

    実在とは、真に存在するもののことです。 それは人工的なものでも、虚構的なものでもありません。 実在とは生命そのものであり、決して人工的なものではありません。 必然的なもの— それは人間が作り上げるものとは関わりなく存在するものです。

  • 宇宙の意志と共に生きる

    宇宙の意志と共に生きる 2011年11月11日

    神の意志と共にあるとは、生の全てを受け入れるということです。 なぜなら、宇宙の働きとは、生の運動そのものだからです。 たとえ死が今まさにやってきたとしても、 それが生の運動であり、厳然たる現実であるならば、 私たちはそれを受け入れなければな

  • 知られざる神

    知られざる神 2011年11月10日

    人は、神を"知る"ことはできません。 知りえるならば、それは神ではありません。 神、その無限の存在は、大いなる未知であり、 永遠に知ることができないものです。 どんな認識も、知覚も、観念も、神ではありません。 神は認識することも、知覚する

  • 神秘と不可知なるもの

    神秘と不可知なるもの 2011年11月9日

    宇宙の神秘は、不可知なるものと共にあります。 人智が及ばないもの、知りえないものだけが神秘であり、 それは永遠に不可知であるものです。 あなたが記憶できるもの、認識できるものは、 不可知なるものではありません。 知りえるものは決して神

  • 死というリアリティ

    死というリアリティ 2011年11月8日

    死とは、嘘偽りのない現実です。 それは全き現実、リアルであり、 そこにはどんな虚偽も欺瞞もありません。 しかし、私たちの多くは死を恐れます。 死から目を背け、死を見まいとします。 死は現実であり、誰もそこから逃れられません。 死から

  • 知識という腐敗

    知識という腐敗 2011年11月7日

    知識の過剰は人間の心を腐敗させます。 なぜなら、知識とは過去でしかなく、 決して新しいものではないからです。 知識とは、すでに知られたものであり、それは過去の古いものです。 古いものには何ら新鮮さはなく、それによって心は凝り固まってしま

  • オープンマインド

    オープンマインド 2011年11月4日

    私たち人間は、お互いが自由でなければなりません。 そしてお互いがお互いの自由を尊重しなければなりません。 お互いが干渉しあったり、相手の生き方を強制しようとするならば、 本来の自由な生がなくなってしまいます。 人間の自由を尊重し、かつ自

  • 自分だけの道

    自分だけの道 2011年11月4日

    「生きる」ということは、 他者が書いた教科書に従うことではありません。 「生」とは、自分で発見し、自分で創造していくものです。 もし、あなたがあなた自身の人生を生きないならば、 その人生は模倣と順応だけの生になってしまうでしょう。 私

  • 苦しみの根源

    苦しみの根源 2011年11月2日

    人間の心の苦しみの根は、自分という「エゴ」にほかなりません。 自分自身に執着すること—そのエゴが心の苦しみの根源です。 私たちは、「私」というものに執着します。 「私」「自分」「自己」「我」—言葉は違っても皆同じものです。 この自己自身

  • 無所有の生き方

    無所有の生き方 2011年11月1日

    私たち人間は、常に何かしらの精神的な所有を持っています。 過去の経験や喜び、満足感や幸福感。 それらは全て精神的な所有です。 精神的な所有というものは、 あなたに満足や喜び、心の安心を与えるかもしれません。 しかしそれは同時に、恐怖が

  • 心と記憶のつながり

    心と記憶のつながり 2011年10月31日

    心と記憶というものは密接に結びついています。 心の動きは、記憶を通して現れると言ってもよく、 心とは過去の運動です。 心は未来を思い描くこともできますが、 それは記憶があるからこそできることです。 記憶がなければ私たちは未来を思い描くことはで

  • 全てを捨て去る生き方

    全てを捨て去る生き方 2011年10月28日

    精神的な所有が多ければ多いほど、心の平安は失われます。 なぜなら、精神的な所有があるところには必ず恐怖があるからです。 自分が所有しているものを失うことに対する恐怖です。   私たちは様々な精神的な所有を持ちます。

  • 自分だけの生を見出す

    自分だけの生を見出す 2011年10月27日

    「人生を生きる」ということに、他者のお手本はいりません。 誰かの真似をしたり、模倣したりする必要はありません。 「生」とは、私たち一人一人が自分で見出し、創造していくものです。 他者の教えに従ったり、真似事をするところには創造性はありません

  • 古き思考

    古き思考 2011年10月26日

    思考というものは、常に古いものです。 思考とは記憶であり、記憶は過去のものです。 記憶されたものを反復するのが思考であり、 思考はどこまでいっても記憶の領域内にあります。 「生」というものは、一瞬一瞬新たなるものであり、 決して古いものの

  • 自己達成への欲望

    自己達成への欲望 2011年10月25日

    人間の心は「こうありたい」という欲望を持ちます。 自分の理想、自己実現への欲求です。 人の心が持つ自己達成への欲望の根には、常に恐怖があります。 人の心が恐れているのは「何もない自分」です。 つまり、「無でしかない自分」への恐れです。

  • 記憶への固執

    記憶への固執 2011年10月25日

    人間の心は、過去の記憶に固執しています。 過去の記憶が「自分自身」だからです。 自分の名声、評価、人気といったものも、 私たちは自分の記憶の中で所有しています。 自分にとって喜ばしい快楽や、満足を得られる体験も、 過去の記憶として刻まれ

  • 瞑想の基盤

    瞑想の基盤 2011年10月21日

    瞑想は言葉を反復することでも、お経を唱えることでもありません。 また、「さあ、これから瞑想しよう」と意志するならば、 それは決して瞑想ではありません。 座禅や神に向かって祈ることもまた瞑想ではありません。   祈

  • 永遠なる創造

    永遠なる創造 2011年10月20日

    万物の真理— それは「今」の瞬間に生起しつつあるということです。 万物の一切の活動は「今」にの起こります。 あらゆる生命の活動、天体の運行、天候の移り変わり。 それらは全て「今」生まれるものです。   「今

  • 精神の観察

    精神の観察 2011年10月19日

    人間の精神は様々な問題を抱えています。 恐怖、不安、悲しみ、葛藤、絶望― こうした感情に縛られてる限り、心の自由はありません。   人間の精神の問題を解決するには、 精神の動きそのものを理解しなければなりません。

  • 「無」の幸福

    「無」の幸福 2011年10月18日

    自分の所有物にしがみついている人は、決して幸福ではありません。 なぜなら、精神的な所有であれ、物質的な所有であれ、 それら所有物への執着があるところには必ず恐怖と苦痛があるからです。   何かをより多く所有している人は

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