非体験の神秘
2011年9月26日
神秘は測り知れないものであり、決して知ることはできません。
よってそれは、心を満たす対象にはなりえません。
なぜなら、心を満たすものは知識と体験ですが、
未知なる神秘は、体験することも知りうることもできないからです。
体験できるものは既知の領域にあります。
私たちは、自分が知っていることしか体験することができません。
それは、神の観念であったり、神秘の認識であったりするかもしれませんが、
しかし観念も認識も結局は既知なるものであり、未知なるものではありません。
どんな観念も認識も、神でもなければ神秘でもありません。
私たちは、自分が知っていることによって自らの心を満たすことができます。
しかし、自分が知らないものによって心を満たすことはできません。
人の心は、何かを知ることによって満たされます。
神、神秘は知りえないものであり、それによって心を満たすこと不可能です。
神、神秘は、人の心を満たす対象とはならないのです。
それは知られざるもの、満たせられるものではないからこそ、
永遠に未知なる神秘であり、絶えず新たに感じられるものです。
神秘は常に新たなるもの、新たなる創造であり、
それは体験できるものでも、知りえるものでもありません。
神秘の体験とは、体験できない体験、非体験の体験と言えます。
それは決して心が満たされることのない非体験の体験です。
非体験の体験とは、永遠に未知で、永遠に新たなるものを感受し続けることです。
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