終わりなき探究

2011年10月4日

生きるということは、絶えず学び、探究することです。

私たちは「生」というものを学んでいるでしょうか? 探究しているでしょうか?

それともただ漠然と日々を過ごしているだけでしょうか。

 

学びのない生、探究のない生は、あまりにも未熟でしょう。

私たち人間には、学ぶべきことが無限にあります。

もし何も学ばず、探究もしないなら、人は生の大きな意味を逃してしまうでしょう。

生とは何か、生きることの真理とは何か―

それを見出すのは、常に学び、探究している人々だけです。

 

もし学びに終りがあるならば、そこで生は停滞してしまいます。

もし探究に終りがあるならば、新しい発見は何もないでしょう。

停滞しない生、死んでいない精神というのは、

日々刻々と探究と学びを深めつつある精神です。

 

心の自由、人間の心の問題を理解するには学びが必要です。

恐怖、不安、悲しみ、葛藤、怒り、憎しみ―

これらの起源、その原因は何か、その構造はどうなっているのか。

それを理解できて初めて、心の問題を解決することができます。

学び、理解しないならば、私たちは心の闘いを抱えたままでしょう。

 

人間の心の問題、自由の問題。そして真理、神の存在。

全ては私たち一人一人が、真剣に生を取り組めるかどうかにかかっています。

学び、探究し、理解を深められなければ、

私たちはまったく未熟で無知なままになってしまうでしょう。

 

絶えず学び、絶えず探究している精神は常に活き活きしており、

決して腐敗や堕落を持つことがありません。

そのような精神だけが生の創造性に溢れているのであり、

その創造性が、人間の新しい在り方を生み出すのです。


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