言葉を超えて生きる

2011年10月18日


生の新たなる発見の旅に出るには、
言葉の制限やその意味に囚われなくなければなりません。

例えば、「瞑想」という言葉ばかりに囚われていては、
本当の瞑想というものを見出せなくなるでしょう。
瞑想とは何か、一体何が真の瞑想なのか―
それは私たち一人一人が発見すべきものであり、
他者から教わるものではありません。

言葉ばかりに囚われていては、新しい生の発見はありません。
「生」は私たち一人一人が探究し、発見し、見出していくべきものです。
その発見には「決められた道筋」というものはありません。
それは自分で独自に発見し、創造していくものです。

「神」「神秘」「聖性」―といった響きのいい言葉は、
何か私たちに精神的な満足感や高揚感を与えます。
しかし、その決まりきった言葉に縛られ、心を奪われているならば、
精神は迷妄と虚偽の中に埋没してしまうでしょう。
言葉というものは、精神を眠り込ませる危険があるのです。

生の探究と発見は、言葉を超えた無限の沈黙から起こります。
言葉と、その言葉の意味と内容を全て空っぽにして、
まったく空白であるところから、真に生の発見の旅が始まります。

「神」という言葉は、神ではありません。
「神秘」という言葉は、それ自体何の意味もありません。
あらゆる一切の言葉に制限されないこと、
それによって精神の無限性を壊してしまわないことが重要です。

偉大なる創造、本物の神秘は、言葉を超えたところにあります。


Trackback URL

http://spiritual-public-foundation.org/message/1398/trackback


世界を変える