「無」の幸福
2011年10月18日
自分の所有物にしがみついている人は、決して幸福ではありません。
なぜなら、精神的な所有であれ、物質的な所有であれ、
それら所有物への執着があるところには必ず恐怖と苦痛があるからです。
何かをより多く所有している人は、それだけ多くの恐怖を持ちます。
その所有物を失うことへの恐怖です。
単に物質的なものだけではなく、人間関係や仕事、自分の将来、理想、
または自己満足を得られる何らかの体験、快楽、享楽―
それら一切が人間の所有です。
人間の心というものは、何かを持てば持つほど恐怖に囚われます。
人間の心は何かを得るために欲望に突き動かされ、
その欲望によって得たものは、やがて恐怖の温床となります。
人間の精神は欲望と恐怖、その繰り返しの動きであり、
この同じ枠内の中で動き続けています。
それはどこまでいっても堂々巡りであり、心の苦しみの繰り返しです。
心の自由、真の心の平安とは何でしょうか。
それは何ものも持たない心、無なる心です。
何も持たない心は、恐怖に囚われません。
なぜなら、何も持たない心は、何も失うことがないからです。
何もない無にこそ、真の心の平安があります。
それは欲望、恐怖、葛藤を超えた状態であり、
全き「無」という心の自由です。
人間の幸福は、何かを得ることにあるのではなく、
全てを捨てて空っぽの無であることにあります。
なぜなら幸福とは、人間の心の完全な平安だからです。
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