メッセージ
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静寂の中の瞑想 2012年9月13日
全的な静寂、心の完全な静けさ。 これこそ真の瞑想の基盤となるものです。 心が騒がしく、落ち着いていないなら、そこに瞑想はありません。 不安定な心というものは、瞑想を壊してしまうものです。 ですから、まず私たちに必要なのは、 真の瞑想が起こ
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内なるイノセンス 2012年9月12日
ネイティヴ・アメリカンの言葉に、 「あなたの最大の宝は内なる子供だ。 歳をとってもその子供を育み続けなさい。 子供の目でものを見よ。そうすれば人生の魅力がわかる」 というものがあります。 ネイティブ・アメリカンの語る"子供"とは、
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宇宙、その生命の樹 2012年9月12日
宇宙というものは一つの"全体"です。 その全体の中に個々の生命が存在しています。 宇宙があるからこそ、個々の生命は存在します。 個々の生命は単独で存在する力を持ちません。 宇宙という全体のエネルギーがあってこそ個々の生命は存在できています。
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賢者からの助言 No.9 2012年9月11日
立ち止まって耳を澄ましてごらん。 心忙しく日々を生きてきて、 毎日仕事仕事で生を費やすだけでは、 真に生きていることにはならない。 それではただのロボットだ。 立ち止まって「生」の奇跡に耳を傾けてごらん。
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賢者からの助言 No.8 2012年9月11日
もしあなたが、 一つ一つの小さな出来事の中に、 大いなる神秘や無限の広がりを感じられるようになれば、 生そのものは決して廃ることなく輝き続ける。 退屈、怠惰、倦怠感、虚しさ、憂うつ─ こうした気持ちは「生
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「実在」を感じる 2012年9月7日
実在するもの、リアリティに溢れたものは、 私たち人間に真の喜びをもたらします。 人間における真に純粋な喜びとは、「実在を感じる」ことです。 喜びと快楽というものはまったく違うものです。 真の喜びは生命のうちから湧き上がる聖なる喜びです。
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観察と瞑想 2012年9月7日
注意を払って観察するというのはとても重要なことです。 なぜなら、注意して観察しなければ、 人は「生」というものを真に感じることはできないからです。 生というものは、この瞬間瞬間に常に動き続けています。 生とは「動いているもの」「生きているも
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終わりなき学びの境地 2012年9月5日
人間において、生において、 学ぶことは無限にあり、 その学びに終わりというものはありません。 真に学ぶとは、知識を詰め込むということではありません。 ただただ教科書に書かれていることや、 何か専門的な知識を覚えるというのは表面的なこと
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貧しき人は幸いである 2012年9月5日
"心貧しき人は幸いなり"という言葉が聖書の中にあります。 これはどういう意味を持った言葉なのでしょうか。 心貧しいとは、精神的に乏しいという意味ではありません。 ここで言われる「貧しい」というのは、 心に驕りや傲慢さがないということ、
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流行に流されない精神 2012年9月3日
私たちの多くは、特に現代人は、 いわゆるスピリチュアル的なものを追い求めすぎるあまり、 世間で話題になっているものに善し悪しの区別をつけずにすぐ飛びつき、 そしてそこに安易に安住している人が多いです。 現代では非常に多くのスピリチュアルの本
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太陽、生命を生かすもの 2012年9月3日
太陽は全ての生物、存在を生かしています。 太陽の暖かさがなければ生命は存在できません。 同時に太陽がなければ地球上は暗闇のままです。 世界が光を帯びているということは、 当たり前のようで実は途方もなく奇跡的なことなのです。 私たちは当たり
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自分一人だけの瞑想空間 2012年8月31日
何もすることのない静かな時間を持つということは、 人間の心にとって、そして生きることにとってとても重要なことです。 何もすることのない時間というのは、 怠けたら、ほんやりとした時間を過ごすということではありません。 それは、自分自身を静かに
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人類に開かれた真理と啓示 2012年8月29日
私たちは誰もが自分自身にとっての宗教者となることができます。 宗教的な精神を持って生きることに、 どんな資格も特別な権利も必要あません。 宗教者とは「真理と知恵を愛する人」のことを言います。 特別な宗教団体や信仰を持った人が宗教者なのではあ
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不変の宇宙意志 2012年8月27日
原初の宇宙の次元というものがあります。 この地球上では、多くの文化や時代が気づかれてきましたが、 そのような人間が作り出してきたものとは関わりなく、 永遠の昔から続く原初の宇宙というものがあるのです。 天体の動きを見てみましょう。 それは
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慰めを超えて 2012年8月27日
私たちの多くは、自分の心の空虚さ、人生の空虚さに耐えられず、 何かしら精神的な慰めを持とうとします。 その慰めは自分の心を満たしてくれるものであり、 また、そうすることによって虚しさを覆い隠すこともできます。 しかし、どんな慰めであっても、
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お金と自然の隔たり 2012年8月24日
なぜ私たちは、こうも躍起になってお金を追い求めるのでしょうか。 あたかも人生というものがお金を稼ぐためにあるかのようです。 本来、私たちはお金がなければ生きていけない存在なのでしょうか。 この地球には人間が生きるために必要なものがすでにあり、
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注意力から生まれる瞑想 2012年8月23日
瞑想と注意力は密接に結びついています。 瞑想は注意力があってこそ深まる運動です。 注意力がなければそこには散漫さがあります。 気が散漫しているならば、「生」を深く感じることはできません。 生の真理を発見するのは、注意深い精神だけです。 散
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自分を見つめるということ 2012年8月22日
心の問題を理解するには、自己観察が必要です。 あるがままの自分を観察し、それを知覚すること。 自分のそのままの姿、そのありのままの心の動きを見つめることで、 そこから心の問題の本質、その原因や根源を見出していくことができます。 自己自身の問
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瞑想と宇宙 2012年8月21日
瞑想の運動は、宇宙と一つです。 人間と宇宙は一つであり、それは別個のものではありません。 宇宙とは全ての生命であり、個々の生命は宇宙の存在そのものです。 それは不可分な一つなるものです。 瞑想の行為は、決して宇宙から分離したものではありませ
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自然を見つめる心 2012年8月21日
私たちは、自然に対して感受性を持っているでしょうか。 多くの大人たちは、自然の神秘に対して無関心です。 毎日仕事や娯楽ばかりで、 あるがままの自然の美しさを味わう余裕と心を持ちません。 自然ほど、私たちの心を清め、豊かにしてくれるものもあり
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超越的な精神 2012年8月20日
流行に流され、囚われながら生きている人は何と多いことでしょうか。 スピリチュアル、霊性と呼ばれる領域においても同じ傾向は見られます。 世間で、ある一つのスピリチュアル系の本が話題になると、 まるでその本に宇宙の正しい真理が書かれているかのよう
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神を見るということ 2012年8月20日
あらゆるものが神の内で存在しています。 花も、石も、動物も、全ては命としての「存在」です。 その「存在」は、等しく高貴なものであり、命の奇跡であり、 神のうちに宿るものです。 あなたはその「存在」を、「命」を、 そのあるがままに純粋に見つ
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真に学ぶということ 2012年8月17日
「生」を学ぶことに、教師も指導者も必要ありません。 私たちは普段の生活の中から、 自分だけで非常に多くのことを学んでいくことができます。 生は一瞬一瞬、常に起こり続けています。 私たちはその「生」を直接に見、聴き、感じることができます。
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生きた瞑想の行為 2012年8月17日
瞑想とは「現在」における刻々の運動です。 瞑想は決して過去の中にはありません。 過去は記憶であり、記憶というものは現に生きているものではありません。 瞑想は「生きたもの」であり、過去の影を宿しません。 瞑想は過去の反復ではなく、 また過去
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無限への扉 2012年8月10日
瞑想は、無限の次元の扉を開く運動です。 無限の次元とは、未知なる領域、神秘の領域、 知性ではとらえることのできない不可知の領域です。 私たちは知性によって事物を捉えようとします。 科学者や哲学者は、知性によって事物を研究し、 それを公式化