慰めを超えて

2012年8月27日

慰めを超えて

私たちの多くは、自分の心の空虚さ、人生の空虚さに耐えられず、
何かしら精神的な慰めを持とうとします。
その慰めは自分の心を満たしてくれるものであり、
また、そうすることによって虚しさを覆い隠すこともできます。

しかし、どんな慰めであっても、それは決して永続するものではありません。
心が執着する一切の慰めはいずれ消えてなくなるものです。
人はそれにすがって生きるかもしれませんが、
その心の支えとなっている慰めが失われると絶望や悲嘆に陥ります。

その心の支え、慰めは、
自分にとってなくてはならないものだったからこそ、
それを損失したときに自分自身の心が崩れてしまうのです。

慰めを求めることは、あるがままの自分の現実からの逃避です。
孤独の寂しさからの逃避、何もない空虚さからの逃避。
そして死という恐ろしい現実からの逃避。

このようなあるがままの現実からの逃避は、同時に幻想に陥ることです。
なぜなら、現実ではないものとは、ただの非現実な幻想でしかないからです。
精神的な慰めというのは、消滅的で一時的なものでしかありません。

死という現実が慰めでもなんでもないように、
「現実」というものは、慰めを求めたり、
何か心の支えを求めたりするというようなものではありません。
真に現実を生き、リアリティと共に生きるには、
自分の心の欲求や逃避に気づき、その心を終わらせなければなりません。

心の悲嘆を乗り越え、真に自由に生きるためには、
あるがままの空虚な自分と向かい合い、自分の心を理解し、
その理解から新しい心のあり方を身につける必要があります。


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