生きた瞑想の行為

2012年8月17日

生きた瞑想の行為

瞑想とは「現在」における刻々の運動です。
瞑想は決して過去の中にはありません。
過去は記憶であり、記憶というものは現に生きているものではありません。
瞑想は「生きたもの」であり、過去の影を宿しません。

瞑想は過去の反復ではなく、
また過去に体験したことを繰り返すことでもありません。
人は何か喜ばしい体験をすると、それを何度も繰り返そうとします。
それを神の体験だとか、霊的体験などと呼ぶかもしれませんが、
しかしたとえどんな体験であれ、それを繰り返そうとすることは欲であり、
ただの快楽の反復にすぎません。

瞑想は快楽や自己満足を繰り返すことではありません。
一度経験されたもの、記憶された経験というものは、
すでに死んだものであり、現に生きたものではないのです。
その経験は古びたものであり、新たなるものではありません。

瞑想とは、新たなるものと刻々と向かい合うことです。
過去の反復があるところには瞑想はなく、
むしろ瞑想とは過去に終止符を打つことであり、
その過去の終焉が、新たなるものの永世となります。

「現に生きたもの」を刻々と知覚し、観察すること、そして感じること。
瞑想は過去も未来も超えたものであり、無時間的なものです。
それは「今」という一瞬一瞬の行為にあります。

時間は過去と未来、昨日と明日、始まりと終わりを持ちます。
終りがあるものは「生」ではなく、瞑想は終わりを持たないものです。
瞑想とは一切の時間性を超越することであり、
常に新たであり続ける「現在」に向かい合い続けることです。


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