体験の捨離
2011年11月30日
私たちは多くのことを体験します。
それは肉体的なものでもあれば、何も霊的なものもあるでしょう。
しかし、たとえそれがどんな体験であろうとも、
体験というものは一時的で消滅的なものにすぎません。
その体験は、単なる快楽や満足となってしまうとき堕落が生まれます。
それが霊的な体験と言われるようなものでも、
それに執着してしまえば、快楽の追求と何ら変わりありません。
体験を追求することは未熟なことです。
あなたは自分の心の虚しさから逃げるために体験を追求するのです。
体験はあなたの心を満たし、虚しさを一時忘れ去ることができます。
しかし、体験には必ず終りがあり、やがて必ず消滅するものです。
体験そのものが問題というよりは、
体験から得られる快楽、または心の満足感、
それに執着し繰り返そうとする心の働きが問題なのです。
体験への執着があるところには、必ず恐怖と葛藤があります。
その喜ばしい体験がもう二度と繰り返せないという不安、
そして実際にその体験を失ったときの絶望と悲嘆。
全ては快楽と自己満足に執着するところから起こります。
体験することに執着しないこと、
むしろ一切の体験の反復と繰り返しを捨てること。
過去の古い体験を完全に捨て去ることによってのみ、
常に日々新鮮な感受性を持つことができます。
過去の体験、反復的な体験に汚されていない精神—
それは純真無垢な精神、心の混乱を持たない精神であり、
そのような精神こそ真の自由を持ちます。
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