今日という日を生きる

2011年12月5日

人生と不確かなものです。
私たちは多くの将来や未来を渇望し、
理想や野心に駆り立てられながら生きています。
または、何か将来に漠然とした不安を抱えながら生きています。

明日、自分が生きている保証はどこにもありません。
私たちはなぜ明日を夢見、また明日に怯えながら生きているのでしょうか。
本当に「明日」というものが存在するのでしょうか。
そりともそれは、頭の中のイメージや想像にすぎないものでしょうか。

「明日」とは、私たちが心の中で描き出す心象です。
もしいかなる心象も、思考も、イメージもなければ、
一体「明日」というものがあるでしょうか。
「明日」とは頭の中で作り出される理想、願望、妄想であり、
それが焦りや不安を生んでいるのです。

では、「明日」というものを持たずに生きることはできるでしょうか?
「明日」という不確かなものを捨てて、「今日」を生きれるでしょうか。
「現実」は明日ではなく、今日という日にあります。
明日を持たずに生きることは、今日という日を全力で生きることです。

野に咲く花は、今日という日を精一杯生きています。
いつ枯れようが、死のうが、まったく気にしていません。
それは明日を持たない姿、今日という日を生き抜く姿です。

「今日」という日、「今」というこの一瞬一瞬を生きることこそ生であり、
そこに本当の現実、リアリティ、真理があります。
「今」こそ生の全てであり、生命の輝きです。


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