自由な生とは何か

2011年12月16日

自由な生とは何でしょうか。
心が何かに囚われているならば、そこに自由はありません。

心が囚われるということは、そこに執着心があるということです。
自分の快楽、満足感、幸福感—
これらを満たしてくれるものに私たちは執着します。
全ては「自分」を保持するための執着です。

しかし、このような執着があるならば決して自由はありません。
自由というのは、何ものにも囚われない不動の心を言います。
何かに囚われている精神は、常に不安と恐怖を抱えています。
不安と恐怖があるからこその執着心です。

何ものにも動かされない心を持つことこそ、自由な生です。
それはどんなものにも執着しない心、
快楽にも、自己満足にも、幸福にも執着しない心です。

私たちは「自分」というものを心理的に保持し続けたいのであり、
結局それが心の自己執着を作り出しています。
自由とは、もはや「自分」のものは何も求めないことです。
「自分」というものに固執することをやめることです。

「自分のもの」を求めなくなった生、それを捨てた生というのは、
もう恐怖も不安も持つことはないでしょう。
恐怖、不安の根は、自分に執着するところから生まれるからです。
「自分」を保持しない生こそ、自由な生であり、
そのような自己放棄の生にはいかなる心の混乱もありません。

心理的な自己保存への執着が終わるとき、自由が生まれます。


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