無垢であるということ

2012年2月3日

無垢である精神とはどういうものを言うのでしょうか。
それは常に新鮮である心、好奇心が失わない心、
人間の持つ欲や願望に囚われない純真な心、
悲しみや恐怖も持たない自由な心—

それが無垢というものではないでしょうか。
多くの大人はこの無垢の精神を失っているように思われます。
いつも何かにおびえ、戦々恐々としながら生きています。
生きることが戦いになり、不安と焦燥感でいっぱいです。

もし恐怖や悲しみがあるならば、そこには無垢はないでしょう。
野心や欲望があるなら、そこに無垢はないでしょう。
文化や伝統や習慣の型にはまっているだけなら、そこには無垢はないでしょう。
知識だけがいっぱいの精神は、決して無垢ではないでしょう。

無垢とは完全に開かれた心であり、
むき出しの丸裸で、あらゆるものを常に新鮮に感じられる精神です。
それは知識に汚されず、どんな過去にも囚われず、
ただ「今」という瞬間を生きることです。

ただ純然と「今」を生きる精神は、不安や恐怖を持ちません。
そのような精神は、もはや何も求めず、何も欲せず、何も失わないからです。
何もない空っぽの精神こそ無垢です。

何もないからこそ、すべてが新鮮で驚きに満ちており、
生における無限の可能性を内包しているのです。
無垢がなければ、本物の宗教性もありません。
聖なるものに出会うのは、無垢な精神だけです。


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