時間の超越

2012年1月6日

現実を生きる精神は、過去も未来も持ちません。
「生」とは、過去でも未来でもなく、この一瞬一瞬の現実です。
現に生きつつあるもの、動きつつあるものは「今」です。
現実を生きる精神は「今」を生きる精神であり、過去にも未来にも囚われません。

過ぎ去った過去の自分、自己実現への願望としての未来。
過去も未来も「現実」の外にあり、それは生きたものではありません。
リアリティは生きたものであり、それは現実の中にのみあります。
過去の記憶も、未来へのイメージも、何らリアリティを含みません。

過去と未来に縛られた精神は、常に恐怖と不安、葛藤と悲しみを持ちます。
自分が保持している過去、または将来渇望する自分に対する未来。
その過去と未来を失うことを恐れるのです。

自分の過去を失うこと、自分の未来を失うこと—
それはまさに「自分」を失ってしまうことです。
なぜならそこには、これまでの自分の全てと、これからの自分の全てがあり、
それを失うことは、もはや何もない空っぽの自分になることだからです。

過去の全てを失い、未来への希望も全て失うことは、
普通の人々であれば極めて精神的に辛いことでしょう。
それは生きたまま自分の人生の終焉に直面するようなものです。

しかし、しっかりと現実を生きるには、過去も未来も超えなければなりません。
なぜなら、生きた現実とは過去も未来もない「今」です。
「今」という瞬間に、生は刻々と動いているのであり、
その生を感じ、それと共に、それ自体として生きるには、
過去も未来もない心理的な無時間がそこになければなりません。

時間を超越した精神だけが、真に自由であり、
かつ、その無時間の精神こそ真のリアリティを感じることができます。


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