不安の根底にあるもの

2013年11月27日

私たちの心の奥底にある不安とは、
自分の人生には何もなくなってしまう、空っぽになってしまう、
友達もいなくなって孤独になってしまう、自分が失われてしまう・・・
そういう「自分」を失うことへの衝動です。
そのような自分中心の心の逃避的な活動が、不安をかきたてています。

たとえば、友達からメールの返信が来ないと不安になるのは、
「自分が嫌われたのかもしれない、縁を切られたのかもしれない、
そして結果的に自分は孤独になってしまうのかもしれない・・・」
という思いがあるからです。

自分の虚しさや孤独から逃げるために、メル友に依存している人も多いです。
なんとかして自分の心を満たそうとして焦って躍起になるのは、
やはり虚しさや孤独から逃げようとする衝動がその裏にあるからです。
ですから、そのような自分の心を理解することが大切です。
そして逃避せずに、虚しさを乗り越える必要があります。

ではどうすればいいでしょうか。
なんとかして自分を満たそう満たそうと躍起になるから、
逆に虚しさが気になってしまいます。自分を満たそうと躍起になるあまり、
かえって虚しさが誇張され、そこから逃避する気持ちが大きくなります。
ですから、自分を満たそうとすることばかりに心を傾倒させるのではなく、
時には(そしてやがては全面的に)虚しさを受け入れ、それを生き、
そしてそれを乗り越えること(克服すること)が必要です。

虚しさから逃げるために心を満たそうとすることに執着するのではなく、
むしろ「初めから何もない真っ白の皿のように」空っぽの心でいられるなら、
それこそ本当の自由な心、不安や恐怖をもつことのない自由な心であると言えます。

一輪の花のことを考えてみましょう。
花は自分を満たそうと躍起になってはいません。花はただ咲いています。
そして花は決して孤独を恐れませんし、ただ自由に、笑顔で咲いています。
それが花の美しさです。人間だって花のように美しく生きることができます。
花のように、何も恐れず、不安にならず、自由に生きること。
花や自然にあるものは、私たちのお手本を示しているのかもしれません。

虚しさや孤独への不安を克服すること。
逃げるのではなく、それと向き合うこと。
そうして初めて、自由な心が養われていきます。
そしてそこに留まり続ければ、花のような精神性が開花するでしょう。


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