人類的な視野をもって生きる
2013年11月14日
スピリチュアルなものを求めようとする動きが世間で多くみられます。
物、お金、世俗的な成功といったものの空しさや無意味さに気づき、
もっと違った視野から生を見つめ、発見し、それを生きようとする流れは、
方向としては健全で美しいものであると言えます。
しかし、だからといってスピリチュアルなものを求めすぎると、
それは世俗的な欲望となんら変わらないものとなる危険性もあります。
スピリチュアルな生き方というのは、
何も遠くにある神秘的なもの(霊的なもの)を追い求めることではありません。
スピリチュアルとは「心」「精神」の活動ですから、
私たちはまず自らの心から始めなければなりません。
つまり霊的な活動というのは、躍起になって彼岸にあるものを追い求めることではな
く、
此岸にある生そのものを見つめ、それを理解することから始まります。
此岸にあるものとは、私たちのあるがままの生です。
自分の心の苦しみ、混乱、または現代社会の混乱、人類の心の苦しみ─
こうしたものすべてが現実であり、目を背けてはならないものです。
自らの心の混乱、そして人類の心の苦しみを無視して、
自分のためだけにスピリチュアルなものを追い求めて何になるでしょうか。
私たちは人類の一員である以上、人類という大きな視点に立って生きなければなりま
せん。
人類が心の苦しみを抱えて生きているのに、
自分だけが幸福を追い求めて生きるならば、それはあまりに自己中心的でしょう。
自分の心が混乱しているのに、そこから目を背けるならば精神の成長はありません。
私たちは自分の成長だけでなく、人類の成長と心の進化のために、
常に「人類的な視野」をもって生きなければなりません。
人類的な視野で生きるとは、もう個人的な小さな視野を捨てて生きるということで
す。
これまでは「自分」という小さな個の中で生きてきた生活を、
全人類的な(宇宙的な)心をもって生きることに変えるのです。
そうすれば、私たち一人一人が「愛」に溢れて生きることになるでしょう。
なぜなら、そのときあなたは「個人」ではなく「全体」だからです。
自分だけを愛する生活は終わり、人類を愛する大いなる愛をもって生きる生活です。
本当の「愛」とは、個人的なものではなく全体的なものです。
愛が宇宙的なものであれば、その愛は本物です。
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