「感じる」ことの尊さ

2013年11月13日

「生」を「感じる」ということ。
「世界」を「感じる」ということ。
この「感じる」という能力こそ人間にとっての尊い宝です。

「感じる」ことは人間が持つ特有の性質です。
一輪の花を見て感動したり喜びを感じられるのは人間だけです。
他の動物にはそのような感受性はありません。
世界の美に反応し、その美に驚嘆し感動できるということは、
人間に与えられたたぐいまれな能力であり、
この感受性はずっと大切にしなければならないものです。

人間に与えられた感受性は、人間にとっての宝物です。
この能力、宝は、全ての人間に等しく宿っているものであり、
得ようとしたり欲することをしなくても、自然に私たちの内に宿っています。
生まれたときから、感受性は私たちの中にあります。
この内なる感受性ほど人間にとって尊いものはなく、
それなしには人生というものは色褪せたものになってしまうでしょう。

子供のころから、この感受性は大切にしなければなりません。
そして絶えることのないように育まなければなりません。
現代社会は、人間の無垢な感受性を壊しているのではないでしょうか。
社会のあり方、生活のあり方、その中で生きる人々の行動を見ていると、
大人になればなるほど感受性は乏しくなってきているように思われます。

世界の大いなる美に対する感受性は、
人間にとっての心の栄養であり、人生の豊かさに必要なものです。
人間にとっての幸せは、いつも「心」にあります。
その「心」を大切にしければ、人生は貧しくなるばかりです。
感受性という人間の宝物を大事にし、それが失われることがないように、
自分の生活だけでなく子供たちの生活も考えなければなりません。

人間の本当の幸福とは何なのか。
私たちは「心」から始めなければなりません。


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