J.クリシュナムルティのメッセージ NO.23
2013年11月6日
人間の多くは自分の人生に意味を求めます。
しかし、意味を求めることは混乱の始まりでもあります。
確かに人間は自分の人生に幾千もの意味を与えることができます。
事実それを与えて生きています。
おのおのがそれぞれに自分の意味を発明し、寄与するのですが、
しかしそうしたものは自身の意見や信仰、
または自分で作り上げた理想や確信にすぎないものです。
なぜ人間はこうも躍起になって意味を求め、探そうとするのでしょうか。
意味や目的を求めようとすることは、人間が陥りやすい逃避の一つです。
結局、人間は自分で作り上げた人生の意味に依存し、
それによって「自分」というものに執着しているのです。
「自分」というものを保ちたい、意識したい、失いたくない。
そのような欲望、執着、自己固執が、意味に執着させます。
しかし、そのような自己執着、意味への執着があるならば、
それを失うことへの恐怖が絶えずつきまとうでしょう。
そこに自由はなく、愛もありません。
「生きる」ということそれ自体が、生きる意味です。
「生きていく」ということこそ、生の色彩であり、美であり、創造です。
生きることの中に、生きる意味の全体が内包されています。
それは自分で作り上げた意味ではなく、宇宙そのものの意味です。
生きるということのなかに、真理があります。
執着したり、自分を必死に守るため闘うことが人生ではありません。
何も求めず、何も失うこともない状態。
そのとき、そこには「生」があります。
「生」それ自体が、大いなる意味なのです。
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