瞑想のあり方 NO.26
2013年10月18日
ただ独りの時間があってこそ真の瞑想があります。
集団や世俗の中だけに埋没しているならば、深い瞑想は起こりません。
何ものにも邪魔されず、静かに独りで過ごせる時間を持つことは大切です。
怠けたり、快楽に身をゆだねるのではなく、
「生」というものに対して機敏で注意深くあるということです。
騒がしいおしゃべりの場や、せわしない雑踏の中では、
心を静かに澄まして注意力を働かせることはできません。
「生」に深く気づくには、孤独の時間が必要です。
独りであってこそ「生」に対して注意深くあることができます。
独りでいることで、私たちは自然と深い瞑想に入ります。
心は静まり、不安や心配事は消え、感受性と気づきが高まります。
気づきが高まることで、「生」に対する感受性が研ぎ澄まされるのです。
完全な孤独ほどに瞑想の豊かさを広げるものはありません。
孤独というのは外面的だけでなく、内面的に完全に静まるということです。
その静寂の中に瞑想の限りない可能性があります。
孤独こそ瞑想の基盤です。
瞑想の限りない広がりは、孤独な精神と共にあります。
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