義を持つこと

2013年6月12日

 

義をもつためには、エゴを捨てなければなりません。
エゴ、我を捨て去ること。
そして心が我欲にとらわれずに透明な無心となることで、
そこに義が溢れるようになります。

「我」という人間の悪しき根源を断ち切ることは極めて重要です。
いかに人間が「我」に縛られて生き、
そしてその「我」によって苦しみをなめているか、
そのことの真理を見極めなければなりません。

「我」に対して死ぬということはどういうことでしょうか?
それは無我であること、無私無欲の境地であること、
自己中心的にエネルギーを全て消し去ることです。
その完全な自己放棄こそ、人間に自由と愛をもたらします。
エゴは愛をもたらしません。自由をもたらしません。
愛も自由もないならば、義が生まれることもありません。

ですから、まずなによりも自分自身の問題を理解することが重要です。
そして自分の問題は、常に「我─エゴ」から生まれているということを知ること。
自我の特性を理解し、それに終止符を打つことが先決です。
さもなければ自分の内なるエゴは常に問題を生み出し続けるでしょう。

自我性に終止符を打つことによってのみ、義が生まれます。
義とは、エゴなき丸裸の精神から溢れて出くるものです。
その丸裸で透明な精神こそ人間としての成熟の証です。


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