静かな精神

2013年5月22日


神秘的なもの、聖なるものとの交わりというのは、
心が完全に静まり、注意力が高まった状態で起こるものです。
世俗の騒がしさや、集団の中にいては神秘と交わることはできません。
恐怖や不安、葛藤や悲しみなど、心の混乱を抱えていては、
真の瞑想と言える状態であることは不可能です。

完全に精神が静まっているとき、静謐な観想状態にあるとき、
こういう時ほど注意力が高まりるのであり、瞑想の基盤と言えます。
静かな精神こそ、直観力が研ぎ澄まされ、
今起こりつつある一瞬一瞬に対する気づきの力が高まります。
そのような気づきの高まりがあって初めて、宇宙との交感があるのです。

感性が研ぎ澄まされるには、心はまったく静かでなければなりません。
不安や心配事があれば、心は決して静かではありません。
心は何ものにも囚われず完全に空白で自由であること、
過去も未来もなく、今この瞬間の現在にのみに注意を払うこと。
心が完全に静かで、途方もない深みへと進むとき、
聖なる異次元の扉が開かれる可能性が生まれます。

一人だけの時間、孤独な時間を持つということはとても大切なことです。
なぜなら、そのような独りだけの時間こそ、
世俗的な喧騒や日頃の煩わしさから離れ、
静かな観想にふけることができるからです。
孤独は注意力を高め、心を鋭敏にさせ、静謐な空間を作り上げることができます。

真のスピリチュアルは、常に静謐な精神から起こります。


Trackback URL

http://spiritual-public-foundation.org/message/5044/trackback


世界を変える