瞑想のあり方 NO.21
2013年4月3日
瞑想とは、時間性を超越することです。
時間性とは、始まりと終わりがあるものです。
始まりがあり、そして必ず終わりがあるもの、それが時間です。
終わりがあるものは「生」ではありません。
「生」は終わりなきもの、永遠だからです。
始まりを持つものには、必ず終わりがあります。
始まりと終わりがあるものは永遠ではありません。
瞑想と生は一つです。
瞑想と生を切り離すことはできません。
瞑想とは始まりもなければ終わりもないものです。
なぜなら、瞑想とは「生」そのもの、「宇宙」そのものだからです。
よってそれは決して一時的なものではありません。
一時的なものは終わりがあるものであり、よってそれは消滅するだけです。
しかし「生」「宇宙」は終わりなきもの、永久に無限にあり続けるものです。
真の瞑想は、時間の枠内にはありません。
時間の枠内にあるものは終わりを持つものです。
時間が終わる次元にこそ瞑想はあります。
瞑想とは、終わりなき生と宇宙と共にある運動であり、
一切の時間性を打破し、それを超越することです。
瞑想とは、時間の終わりであり、
始まりもなければ終わりもない永遠の次元にある運動です。
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