瞑想のあり方 NO.17

2013年3月22日

瞑想とは、感受性を開け放つことです。

感受性が失われているなら、瞑想はありません。

 

瞑想は、見ること、聴くこと、感じること、知覚することであり、

五感と感受性を機敏にし、気づきを高めることです。

感受性が鋭敏であればあるほど瞑想の質は高まります。

 

感受性の豊かさは、精神の豊かさでもあります。

心が不安や心配事に縛られているならば、感受性は乏しくなります。

なぜなら、混乱している心というのは感受性が閉じられているからです。

不安、恐怖、悲しみ、絶望といった感情にとらわれているならば、

どうして感受性を開け放つことができるでしょうか。

心が自由でなければ、どうして気づきを高めることができるでしょうか。

 

感受性が乏しいと、何を見てもその対象は心に入ってこず、

何を聴いてもその響きは心を感動させないでしょう。

感受性が乏しいとき、美しいものは美しくなくなり、

驚嘆すべきことが平凡なことになり、感動できることも無価値になります。

瞑想とはあらゆる物事に深く気づいているということです。

気づくためには、感受性が研ぎ澄まされていなければなりません。

 

真に瞑想が起こるためには、まず心が静謐であること、

どんな不安も混乱もなく自由であることが必要です。

そしてそのような心の自由から感受性が開放され、

あらゆる物事に深く気づくことができる精神の土台ができます。

 

このような瞑想の基盤と土台ができることで、

瞑想の精神はより研ぎ澄まされ、生への感受性も強烈になります。

感受性が強烈になることで、瞑想の可能性は無限に広がります。

そしてこの無限の広がりこそは、まさに瞑想の本質です。


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