執着なき生
2013年2月26日
完全な自由とは、自己自身への無執着、自分の生への無執着です。
それは完全な自己放棄の生を意味します。
自分という存在に、自分の人生というものに執着しないこと、
生の中心である「私」という意識に執着しないこと。
「生に執着しない」とは、生きながら自分というものを捨て、
過去を所有せず、未来への欲望も持たず、
心を空っぽにして日々を生きるということです。
生に執着せず、もはや自分を守ろうとすることもせず、
完全に自己を捨て切ることで精神の真の自由が開花します。
自己防衛的な心の闘いが終わることで自由が生まれるのです。
そこにはもう何も背負うものも、守り抜くべきものも、失うものもありません。
はなから空っぽで、自己もなく、完全に空っぽの精神で刻々と生きます。
よって何かを喪失して絶望したり悲しんだりということもありません。
なぜなら、喪失すべき何ものも所有していないからです。
自己を捨て、精神的な「空」を受け入れている心ほど晴れやかで自由なものはなく、
もはやそのような状態には心の混乱も迷いも苦しみも一切ありません。
これとは反対に、自己と自分の生への執着があるところには、
絶え間ない恐怖と悲しみ、不安、その心の闘いの牢獄があります。
自分の生、自分の人生が失われてしまうことに対する心の衝動が恐怖(死への恐怖)であり、
この自己執着があるかぎり心の苦しみの連鎖は決してなくならないでしょう。
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