瞑想のあり方 NO.13
2013年1月23日
瞑想の行為は、どんな意図も意志もないものです。
意図や意志があるものは欲望から作られたものであり、
何かを成し遂げたい、何かを得たいという心から来ています。
しかし、瞑想とは何かを成就することでも獲得することでもありません。
真の瞑想の行為は、無為自然です。
それはどんな動機も目的もない行為です。
こうなりたい、これを得たいという心の動きがないということです。
瞑想を壊すのは、欲に基づいた心の損得感情です。
何かを得ようとすること、または失うこと。
何も得ることができないことへの葛藤、
得たものを失うことへの恐怖、失ったあとの悲しみ。
こうした感情の混乱、欲望こそが瞑想の真の働きを壊すのです。
無為自然の内には、いかなる損得感情もありません。
なぜなら無為は何も求めず、何も失わないからです。
それは花がそこに咲いているように、ただそうあるだけのものです。
花は何かを得ようともせず、同時に失うこともありません。
それが瞑想の本質です。
瞑想とは、この無為自然のままある運動であり、
そこには過去への執着も、未来への執着もありません。
無為は、過去を失うことも、未来を失うことも恐れません。
それはただ、起こるがままに「今」を純然と生きる行為です。
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