飢餓の終焉
2011年8月18日
飢餓の終焉
私は非常に貧しい幼少期と少年期を過ごした。
私はそもそもこの世に生まれてくることができるかどうか分からなかった人間である。
貧困に苦しむ家庭は、私の中絶の判断を迫られた。
母の強い意思で、運良くこの世に生まれてきた。
幼児期には家庭はミルクすら買えなく、砂糖水を代わりに飲まされた。
満足行く栄養など取れなかった。
残飯同様の食事だった、犬と良い勝負だ。
そのため私の歯はボロボロになり、今もほとんど歯は残っていない。
今は硬いものは食べられない。
少年期には学費に困窮した。
大学など夢、中学卒業が最終学歴にならなかっただけマシだ。
運良く高等専門学校は卒業することができた。
皆の楽しい旅行や、塾の話など夢のまた夢だった。
そんな私でも、人のために祈った。
オンボロテレビで、アフリカの飢餓によりやせ細った子供たちを見た時、
幼稚園児の私は初めて神に祈った。
「神様、ぼくに飢えた人々を助ける力をください。」
その時の神様は、物理的な力は何もくれなかったが、飢餓に立ち向かう“勇気”だけはくれた。
勇気は諸王の王である。勇気の妻は希望である。
いま私は飢餓の終焉への勇気ある一歩を印す。
飢餓の終焉が私の一生では足りなくても、
次の勇気ある者にこの財団を託す。希望とともに。
2011/08/18 マヘーシュワラー・マハーリシ(愛内清隆)記す
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