偶像崇拝を超えて
2012年11月28日
石や木を拝んでも、無意味ではないかと感じたことはないでしょうか。
まさにそれは偶像崇拝と呼ばれるものです。
私たちの多くは、像を拝んだり祈ったりすることで、
ご利益を得たり、願い事がかなうと思い込んでいます。
しかし、私たちが拝んでいるのは石や木です。
そしてまた、心の中の神は、心が投影したものにすぎません。
それはさまざまなイメージ、幻想、妄想であり、真実ではありません。
心の投影、手によって作られたものの中に神や真理があるでしょうか?
心の投影というのは、意見、判断、イメージ、言葉であり、
それに基づいて作られた像もまた同じ性質を持っています。
心が神や宇宙を創るのではないのです。
そこで、何が本当の神で、何が本当の真実であるかということを、
自分勝手な意見や判断、幻想やイメージや偶像にとらわれずに、
自分で発見できるかどうかが重要になるのです。
そのためには、心は爆発的な独立性と創造性をもたなければなりません。
伝統や文化的な意識に縛られていては、神も真理も見つかりません。
何が本当の真実であるかを、自分で探究すること。
自分で真理を見出そうとすること。
社会や伝統を受け入れるだけならば、心は死んでしまいます。
本当に神を発見するのは、伝統や文化の一切から自由である心、
自分一人で刻々と「生」と向き合って、新しい扉を開いていける心だけです。
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