「完全になろう」とする欲求

2012年11月27日

 

完全になりたい、自分はこうありたいと言うとき、

人は野心と欲望にとらわれています。

そこには希望、達成、満足、挫折、悲しみ、妬み─があります。

 

「完全になろう」とするとき、そこにはすでに心の混乱があります。

その野心、欲があるとき、絶えず自分の中で多くの比較を持ち、

「こうなりたい自分」と「こうなれない自分」とのあいだで、

葛藤と悲しみを持ち続けることになります。

 

完全になろうと自分を追い求め、自分の達成に向かって努力する。

こういう生き方が、本当に善良な、愛のある生き方でしょうか?

完全になろうとすることは、凡庸であること、冷酷であることです。

そのような人は欲深く、偽善的です。なぜなら、自分中心にしか考えていないからです。

完全であろうとすることは、不完全の始まりです。

 

本当の完全さとは何でしょうか。

完全であるとは、あるがままの君自分であり続けることです。

あるがままの自分以外になろうとしないことです。

何かに「なろう」としたり、自分とは別の自分を追い求めるのではなく、

あるがままの今の自分から目を背けずに、そこに留まり、

嘘偽りのない正直で誠実な生き方をするということです。

 

完全な人間は、「完全になろう」とはしません。

ただ一瞬一瞬を、そのあるがままに見つめ、理解し、生きようとします。

そこには「何かになろう」とすることも、到達したい理想の自分というものもありません。

「あるがままである」ということ、それが完全性であり、美なのです。


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