不完全であることへの恐れ
2012年11月7日
完全になりたい、自分はこうありたいと言うとき、
人は野心と欲望にとらわれています。
そこには希望、達成、満足、挫折、悲しみ、妬み─があります。
「完全になろう」とするとき、そこにはすでに心の混乱があります。
今の自分に不満で、より良い自分になろう、もっと完全になろうとするのです。
その野心、欲があるとき、絶えず自分の中で多くの比較を持ち、
「こうなりたい自分」と「こうなれない自分」とのあいだで悲しみを持ち続けるでしょう。
多くの人々は、この葛藤の中で苦しみながら生きています。
完全になろうと自分を追い求め、自分の達成に向かって努力する。
そのときあなたは冷酷に、残酷になるでしょう。
そして自己中心的になり、恐怖を養い、常に不満と不平に溢れるでしょう。
「完全になりたい」という欲は、エゴから発せられるものです。
エゴ、自己中心性があるところには愛はありません。
あなたにできることは、
「あるがままの自分」に留まり、それと共に生きることです。
あるがままから顔を背け、理想や完全性を追い求めるとき、人は不幸になるのです。
あるがままこそ、本当のあなたです。
その本当のあなたに留まり、その自分をあるがままに理解すること。
そうすることで、自然とそのあるがままの自分が変化し、
あるがままの自分を超えていくことができるでしょう。
強いて自分を変えようとするから苦しむのです。
あるがままに留まるとは、一切の比較や追求をやめることです。
あるがままの自分の理解から、新しい自分が立ち上がります。
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