瞑想のあり方 NO.5
2012年11月2日
瞑想とは、何かを成就したり、目的を達成したりすることではありません。
自己満足を求めたり、幸福な体験を追い求めることが瞑想ではありません。
そのような欲望、願望、追求といったものが終わらないかぎり、
真の瞑想というものは起こりません。
つまり、瞑想とは自己中心的な活動を理解し、それを超えていくことです。
瞑想によって霊的な体験を得ようとしている人々が多いようです。
神秘的な体験、恍惚とした、我を忘れられるような体験、
そうした喜ばしい体験を欲して瞑想に取り組むのは間違っています。
なぜなら、それは単に快楽の追求と同じであり、
どんなに目的対象が崇高と思えるものであっても、
その内実は世俗的な快楽、感覚的な快楽の追求と同一なのです。
瞑想とは、快楽や享楽ではなく、また心の慰みものでもありません。
欲望によって求められるのもは、瞑想ではありません。
そのような快楽による霊的追求というものは、
結局のところセックスや食の快楽と同じ次元にあるのです。
瞑想、霊的な生活というものは、
真に神聖なもの、厳粛なもの、真剣なものであり、
自己満足や喜ばしい体験を追い求めることではありません。
そのような追求、達成欲は未熟な精神によるものです。
自己中心的な追求や欲望があるところには、
必ず恐怖、不安、葛藤、暴力、悲しみ─があります。
心の混乱、無秩序があるかぎり瞑想の自由はありません。
欲望、追求、自己中心的な一切が終わるところから、
真の瞑想は起こります。
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