「心」で開かれる瞑想
2012年10月26日
瞑想は、無限の次元の扉を開く運動です。
無限の次元とは、未知なる領域、神秘の領域です。
それは測り知れない次元、知性を超えた次元です。
しかし「生」の神秘は、
知性によって把握したり、知識によって伝えられたりするものではありません。
記録できるもの、記憶できるものは、もはや神秘ではないのです。
生の神秘は、言葉も知識も超えたものです。
それは過去を超え、「今、生きている」ものです。
現に生きているものを「知る」ことはできないのです。
なぜなら、それは掴まえることのできない「動き続けいている命」だからです。
知性は、生の無限の扉を開くことはできません。
人間の頭脳の運動はどこまでいっても有限です。
なぜなら、頭脳は物質にすぎないからです。
生の神秘の扉が開かれるのは、頭脳が完全に静まったときです。
もはや記憶したり、認識しようとしたりする働きが終わり、
頭脳も精神も空っぽになって新鮮であるときにこそ、生の神秘が開示されます。
つまり、神秘は頭で把握するものではなく、
内なる「心」で感じられるものです。
その心の体験は川のように流れ、留めておくことはできません。
留められないからこそ「生きた命」であるのです。
いったんそれが記憶されれば、もはや命ではなくなります。
心が開かれているときにのみ、真の瞑想があり、
そこから記憶されることのない「今」における生の奇跡が生まれます。
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