瞑想のあり方 NO.2
2012年10月18日
自由なしに瞑想はありません。
では自由であるとはなんでしょうか?
あらゆる伝統や教義、凝り固まった教えや専門言葉、
または様々な理論や哲学、宗教的な教えといったもの─
こうしたものにとらわれているならば、真の瞑想はありません。
決まりきった文化のあり方、社会の常識、型にはまった行動様式、
それら一切から自由であることです。
精神的な自立があってこそ、瞑想は本物となります。
もし何かしらの伝統や文化、同じ考え方に縛られていたら、
何も新しいものは発見できないでしょう。
瞑想とは自分で新しいことを発見し、理解することです。
発見のない生、何も見出すことのないならば瞑想ではありません。
同じ考え方に固執するならば心は腐敗してしまいます。
瞑想は、全ての「人間」に開かれたものであり、
そこにはどんな条件もありません。
時代のあり方、文化、社会、伝統―を超えなければ、
真の瞑想は開花しないのです。
自分の足で立つこと、自分で生を理解しようとすること。
そこから瞑想が始まります。
そして瞑想とは、常に自由から始まるのです。
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