瞑想のあり方 NO.1
2012年10月17日
瞑想は、意図して座禅を組んだり詠唱を繰り返すことではありません。
瞑想は、特定の伝統や宗教に限定されたものでもありません。
瞑想とは、人間そのものから起こらなければならないものです。
ですから真の瞑想には、どんな条件もないのです。
真の瞑想は、まさに「人間として生きること」の中にあります。
日々の自分の行為や感情に気づくこと、心の動きを理解すること。
それもまた瞑想の一部なのです。
特定の伝統や意図的な方法にとらわれているならば、
それは瞑想ではなく欲望による修練になります。
修練と瞑想はまったく違うものです。
瞑想は決して意図的なものではありません。
意図して行われるものは、人為的で欲望に彩られています。
瞑想は、日々の自分の言動や心の動きにただ気づいていること、
無理なく自然に自覚を持つことです。
自分の行動や心の動きに気づいていないならば、
それがやがて混乱や無秩序を引き起こします。
気づくことで、自分の感情を理解することができるのです。
恐怖、悲しみ、怒り、不安、虚しさ、葛藤─
こうした心の動きに気づき、理解すること。
瞑想はまず「自己理解」から始まります。
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