謙虚な精神
2012年10月2日
謙虚な心を持つということは、
真に宗教的な生活の基盤となるものです。
欲望のままに生きる人、自我(エゴ)に固執する人というのは、
傲慢さ、怒り、恐怖、暴力などの負の力に囚われます。
謙虚さというのは、自分の欲、エゴを捨てて無私の心を持つことですが、
その心が欠けていると、人は誤った道を歩んでしまいます。
霊的な進歩というのは、何かを成就したり達成したりすることではありません。
また、自己満足を与える神秘的な体験を追い求めることでもありません。
霊的な生活の中でエゴや欲望が強すぎると、
いわゆる「霊的な傲慢さ」というものが出てきます。
「自分は霊的な進歩している」「私は霊的な体験をしたのだ」
「自分の信じるものがけが正しいのだ」という思い込み。
それがやがて他者を排除したり、傷つけたりする元ともなります。
一体そのような心のあり方で、本当に霊的な進歩というものがありえるでしょうか。
霊的な傲慢さは、私たちの中に潜んでいます。
心の謙虚さというのは、真に宗教的な事柄です。
その心の質が、本当の宗教的資質です。
謙虚さとは、心の美しさであり、静かさであり、豊さです。
そしてまた、欲のなさ、エゴを放棄した心です。
そのような心があってこそ、真に霊的なものを学べるのであって、
己の欲だけに縛られているうちは本当の学びはありません。
まず自分自身のエゴ、欲望に気づき、それを終わらせること、
恐怖や葛藤を終わらせること、それが第一です。
Trackback URL
http://spiritual-public-foundation.org/message/3239/trackback