聖なる瞑想
2012年7月24日
瞑想とは、一個の「生きた聖なる運動」です。
それは静止することなく変わり続け、動き続けていくものです。
瞑想は自分が「何かになる」ためのものでもなければ、
瞑想によって何かを「得る」ためのものでもありません。
瞑想によって「何かになろう」「何かを得よう」と考えている人が多いです。
瞑想は霊的な成長のために必要であり、
自分の霊的な進化のためには不可欠なものである、と。
しかし、瞑想は「何かになる」ために行うものではありません。
瞑想は目的達成の手段ではなく、また何かを成就するために行う行為でもありません。
霊的な進歩を「目的」として瞑想をするならば、
それは自己満足や自己達成への欲望から生まれてきた衝動です。
「何かになる」こと、「何かを得たい」というのは、
、
瞑想の行為ではなく「エゴ」における欲望の行為と同じなのです。
本当の瞑想においては達成されることは何もありません。
瞑想とは常に生きたもの、刻々と変わり続けるもので、
それは到着点のない絶えざる生の活動、聖なる運動なのです。
よって瞑想は、何かに「達する」ものでも、「得られる」ものでもありません。
瞑想とは意図や欲望、作為と無関係に起こるものであり、
人間の意志を超えた「宇宙の活動」です。
それは人間の生まれる前から永遠にあり続けている「生」の活動そのものです。
生き、動き続けているものに「到達点」というものはなく、
瞑想とは行き着く地点も定かではない未知なる永遠の旅です。
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