時間を超えたもの
2012年7月5日
まったく一瞬たりとも思考を挟むことなく、
「ただ見つめる」という行為は、驚くべきことです。
なぜなら、思考がないとき「時間」というものはないからです。
過去、未来、その時間性は思考から生まれます。
思考は記憶であり、その記憶が過去と未来の投影を作っています。
その時間制そのものである思考の影がまったく消え、
ひとかけらの思考もなくただ事物を見つめるとき、
そこには時間を超えた「何か」があります。
思考なく見つめていると、
人は思考と時間が触れることのではないものに気づくでしょう。
それは何か神聖なものでもあれば、測り知れない神秘的なものでもあります。
人はその何かに気づき、立ち止まり、
その「何か」を通して目の前のものを見るでしょう。
目の前には、
木があり、花があり、鳥が飛び、雲が浮かんでいます。
その全ての中に、存在を包み込む無限の「何か」があります。
それは幻想でもなければ、自分の心を欺くようなものでもありません。
それはそこに確かにあって、人の目の中にあり、また人の全存在で感じられるものです。
時間を超えたものは、無時間なるものです。
無時間なるものは思考を超越したものです。
思考によっては決して触れることも知ることもではないもの、
その神聖で測り知れない未知なるものは、
私たちの目の前、私たちに感じられるためにそこにあります。
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