喜びを求めることはできない
2012年6月28日
人においての真の喜びというものは、追い求められるものではありません。
追い求められるものは、喜びではなく快楽です。
快楽と喜びはまったく別のものです。
快楽は繰り返されるものであり、
それゆえ堕落や機械的で惰性的な精神を作り上げてしまいます。
人間の精神というものは快楽を繰り返そうとするもので、
その機械的な反復が人間の精神を堕落させます。
快楽と欲望は一つであり、それに囚われている精神は卑小なままです。
喜びは、求めるものでも招かれるものでもありません。
喜びは、人間の意志によって好き勝手に繰り返せるものではありません。
それは人間の欲望の対象にはならず、ごく自然に無為に起こるものです。
喜びに繰り返しはなく、常に新しいものです。
それはやってきて、消えゆくものであり、
自分の意のままに掴まえておくことはできません。
所有できるものは喜びではなく快楽です。
所有できるものは死んだもの、古いもの、つまりただの記憶や知識です。
喜びとは常に新しいもの、新鮮なもの、「生きたもの」です。
喜びは、何も求めず、持たず、心が空っぽであるときに訪れるものです。
それゆえそれは常に新鮮なもの、知られざるもの、驚きの満ちたものであり、
まったく腐敗も堕落もない「純粋」なものなのです。
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