快楽が支配する現代
2012年6月21日
現代社会は快楽と娯楽が重要視されています。
人はそれにはまり、精神を快楽の奴隷にさせています。
現代社会は人間を快楽の鋳型にはめようとしており、
その手段や手口はずる賢く、巧妙です。
官能的な快楽、言葉の快楽、視覚の快楽、金の快楽、
心や手によって作り出された快楽、名誉の快楽、宗教の快楽─
さらには暴力の快楽、薬の快楽、セックスの快楽など。
人間は、社会が支配する快楽の型枠にはめ込まれ、そこに順応させられています。
そうなると、人は快楽を追求するだけの人生を送ることになり、
やがては集団でその快楽が誇張され、拡大され、もはや静止はきかなくなります。
快楽の追求によって人間は暴力的になり、他者をだまし、攻撃し、
自分が得られる様々な快楽を守ろうとします。
自分の快楽を守るためなら人を殺すことだってあるでしょう。
これはまさに現代で起こっていることです。
快楽だけが誇張され、人間の精神がそれに支配されて生きることは、
あきらかに社会の堕落と腐敗を作り上げています。
そこには人間の真の道徳や美、英知や豊かさはなく、ただ退廃だけがあります。
組織化された娯楽は、人間の正常な意識と精神を破壊します。
商業的なものであれ、精神的なものであれ、娯楽の過剰は人間そのものを狂わせます。
正気に、そして自由に、真に人間らしく生きるには、
このような腐敗した社会、快楽ばかりに溢れた世界から離れ、
厳粛で聖なる心をもって生きなければなりません。
快楽というものが、人間の美を、善を、徳を養うことはついにないでしょう。
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