空無の心

2011年8月31日

私たちの多くは、損得の精神で物事を考え、そして行動します。

いかに自分のものを得られるか、それとも失うか。

精神はその領域内で絶えず動き回っているかのようです。

 

自分の満足、喜び、楽しみ、幸福―

それらを得ようとし、守ろうとする心が人間の中にはあります。

どんな経験であれ、それが精神的な所有物となるとき、

そこから心の執着が生まれます。

 

人は自分が得た満足、経験を手放そうとしません。

それは精神的な所有物であり、それが自己執着を作り上げます。

その自分の満足、経験、快楽―にすがるのです。

 

自分が得た精神的所有物への執着は、

同時に、それを失うことへの恐怖と葛藤を生みます。

つまり、得たものを今度は失うのではないかという心の不安、闘いです。

 

この心の闘いがある限り、人は決して自由ではないでしょう。

そこにあるのは、苦しみ、恐怖、不安、葛藤―であり、

さらに心の所有物を失ったときに生じるのは絶望と悲しみです。

これは人間にとっての不幸と悲惨の連鎖です。

 

では、得たり失ったりという機械的な精神の枠組を、

自分で打破することはできるでしょうか。それを打破しない限り、

心は常に何かを得、何かを失うということを繰り返すでしょう。

それは終わりなき心の闘争であり、人間にとっての苦しみです。

 

何も得ることもなく、それゆえ何も失うことのない心。

そのような心だけが、真に自由な心です。

それは何も持たない心、何も望まない心、何も獲得しない心、

何も保持せず、何も守ろうとしない心です。

 

何もない「空無の心」―それが自由の心です。


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