真理を求める心

2012年6月4日

真理を求める心

真理を求める心

 

真理、宇宙の真実は、
誰もが自ら探究し、発見できるものであり、また発見しなければならないものです。
なぜなら、真理ある生を生きないならば、それは「生」ではないからです。
真理がないならば、そこには虚偽の生しかありません。
真理の中で生きるか、それとも真理なく生きるか、そのどちらかです。

外部の影響力に惑わされず、永遠に変わらない生の真理を求める心を持つこと。
それこそ人間本来の生であり、意義であり、本物の精神性と言えるでしょう。
この精神性は時代や文化を超えて私たち一人一人の人間に等しく宿っています。

真理を真剣に追い求めることなくして「生」はあるでしょうか。
これこそ私たちが持つべきもの、為さなければならないことではないでしょうか。
それなくして「人間として生きる」ということはあるでしょうか。

重要なことは、生の真実を発見すべく、
その人が真剣に「生」そのものと向かい合い、厳粛に生きれるかどうかです。
生は遊びでもなければゲームでもありません。
軽薄に、安逸に、凡庸に、社会と文化に属しきって生きる人間に生の真理はないでしょう。

真理を見出すのは、特定の文化や伝統に属しているような人ではなく、
また、ある特定の哲学者でもなければ宗教家でもありません。
真理は偉人や聖者と呼ばれている人々だけに与えられるものではありません。
むしろ、そうした人々が本当に生の真実を見出したかどうかは疑わしいものです。
その人間、他者が本当に真理を生きたかどうかは誰にもわかりません。

他者が真理を発見したかどうかということはまったく重要ではないのです。
重要なのは私たち一人一人がどう生きるか、私たち一人一人が自分で真理を見出せるかどうかです。
他者が語った真実、他者が体験した真実ではなく、
「自分で発見する真実」「自分で体験する真実」です。

自分で真理を見出してこそ、その意義があります。
自分一人の足で立って真理を見つけること。それが本当の「生」です。


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