正気であるということ

2012年5月28日

正気であるとはどういうことでしょうか。
何が正気で何が狂気でしょうか。
私たち人間の社会、生き方、あり方は本当に正気でしょうか。

正気であるとは、行為や心がバラバラになってていないこと、
統一されていて全体的であるということです。
精神的な病は、心が分裂してバラバラになることから起こります。

心がバラバラであるとはどういうこと。
人は「自分」と「他者」とのあいだに壁と隔たりを作ります。
あらゆるものに対して「私」と「私でないもの」の分離を作り上げ、
いわばそうして周り中に「敵」を作り出すのです。

心がバラバラになるとき、あらゆるものが敵のように感じられるでしょう。
人が怖い、宇宙そのものが怖い、生きていることすら怖い。
何かが自分に襲いかかってきそうで、落ち着いていられない。
自分の命が奪われるのではないかと怯える。

心と意識がバラバラになっているからこそ、そのような神経症的な精神状態に陥ってしまいます。
ノイローゼ、精神病、失調症、うつ病─
それらは意識と行動がバラバラに分裂しているから起こります。

人は敵を作り出し、孤立し、自らバラバラになっています。
世界全体がまさにそうであり、人類は混乱し、正気を失い、闘い続けています。
闘いのあるところ、敵対心のあるところ、正気はありません。
恐怖や悲しみは正気を生みません。

人間の心と意識、行動がバラバラではなく、
常に全体的で統合的であるならば、それが正気です。
正気とは、心の分離を障壁の終わりであり、人間としての統合です。


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