瞑想の形

2012年5月17日

瞑想は、自分の力で制御するものでも、招きよせるものでもありません。
それは自然と意図なく起こるものであって、人間の意志で起こすものではありません。

瞑想は精神的なゲームでもなければ気晴らしでもなく、
また単に知的な遊びでもなければ慰めでもありません。
瞑想は欲望の対象とはなりえず、かつ快楽や享楽でもありません。

瞑想しようと意志すること自体、瞑想そのものを破壊しています。
瞑想とは、今起こっていることに気づくこと、知覚することであり、
そこから生まれる厳粛な洞察と学びが重要なのです。

型にはめるだけの瞑想、座禅や祈り、詠唱の中には偽善や幻想が多く、
そのような中には純粋な瞑想の形はありません。
むしろ瞑想とは形なきものであり、形がないから常に新しいもの、無限なものであり、
それゆえ決して固定されたものでも型枠にはまるものでもないのです。

ただ見つめ、聴き、感じ、気づき、知覚すること。
その中にはどんな意志も欲望もありません。
ただ見ること、聴くことは欲望ではありません。
気づくこと、知覚することは快楽とはなりません。

瞑想の厳粛さは、その純然たる行為と気づきの中にあります。


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