「強さ」の追求

2012年5月11日

どんなものであれ、「強さ」を追い求めることは野蛮でしょう。
強さを追い求めるところには、必ずエゴがあります。
権力、地位、金、記録を求めることも強さを追求することと同じです。
現代社会の人間の活動の底にあるのは、
どんな種類のものであれ「強さの追求」ではないでしょうか。

強さというものは、自我(エゴ)を高めます。
エゴが大きくなればなるほど私たちは暴力的になります。
暴力というものは、物理的なものだけでなく精神的なものもあります。
精神的な暴力で相手を傷つけることは人間関係の中ではよくあります。

強さがあるから力を振るうのです。
強さを持っている人間は他者に暴力を与えます。
力の暴力、心の暴力―全ては自分以外のものを攻撃するためです。
ビジネスや経済的な戦争の中にもあきらかに暴力はあるでしょう。
私たちの世界がまさにそうなのです。

強さを求めることは、暴力を求めることです。
そしてそれは自我を強化することであり、悪しきもの以外にありません。

強さは善ではありません。善は暴力ではありません。
善とは、完全なる無力、完全なる無私です。
それは野に咲く花がそうあるように「ただ存在するもの」です。

「ただ存在する」ということに暴力や強さはありません。
「ただ存在する」ことにどんな欲望も追求もありません。
「ただ存在する」ことから離れ、
強さの追求やエゴの欲望に流れてしまうとき、悪が生まれ全てが汚れるのです。

強さというものは善とは正反対のものです。
善は、強さというものがまったくない「無」であるところにあります。
それは一輪の花のように無力であり、
それゆえそこには「ただ存在する」ことの美しさと聖性があります。
それは生命そのものが持つ聖性、宇宙の測り知れない聖性です。

強さと暴力は、この生命の美しさ、宇宙の聖性を破壊するのです。


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