無執着という自由

2012年5月9日

完全な自由とは、自己自身への無執着、自分の生への無執着です。
それは完全な自己放棄の生です。
自分という存在、自分の人生に執着しないこと、「私」に執着しないこと。

「生に執着しない」とは、生きながら自分というものを捨て、
何もない「無」を刻々と受け入れて生きることです。

生に執着せず、もはや自分を守ろうとすることもせず、
完全に自己を捨てきって開け放つことで、精神の真の自由が開花します。
そこにはもう何も背負うものも、守り抜くべきものも、失うものもありません。
はなから空っぽで、自己もなく、完全に「無」を受け入れて生きるのですから、
何かを喪失して絶望したり悲しんだりということもありません。
なぜなら、喪失すべき何ものも所有していないからです。

自己を捨て、死を受け入れている心ほど晴れやかで自由なものはなく、
もはやそのような状態には心の混乱も迷いも苦しみも一切ありません。
これとは反対に、自己と自分の生への執着があるところには絶え間ない恐怖と悲しみ、
不安、その心の闘いの牢獄があります。

自分の生、自分の人生が失われてしまうことに対する心の衝動が死への恐怖であり、
この自己執着があるかぎり決して心の苦しみはなくならないでしょう。

完全な無執着こそ真の自由への道です。
この無執着が「自己-自我」という縛りを解き放つのです。


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